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アイメイト・バーベリ―との出会い

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アイメイト・バーベリ―との出会い

このコーナーでは、山戸光子さんと盲導犬「バーベリー」の出会いを山戸さん自らが 綴った感動の体験記を連載しています。(音声ソフトで山戸さんが作成したものをほぼ原文のまま掲載しています)

アイメイト・バーベリ―はそろそろ引退を考えていた矢先、虹の橋を渡ってしまいました。
ほんとうに・ほんとうに、「ごくろうさま」でした・・・






アイメイト・バーバリー
自宅
 
 
講演中の山戸さんとバーベリー

 

目 次
第1章
(1)その日が来た!もう引き返せない。
(2)入学式!
(3)結婚式・私がお母さんヨ!
(4)初めの一歩!
(5)訓練生達!
(6)1回めのテスト!
(7)点字の地図が解らない!
(8)恐怖のふみきりコース!
(9)さあ、践み切りコースの始まり!
(10)「しょうしな」って、どう言う意味?
(11)指導員がたりない!
(12)さいは、投げられた!
(13)一時停止が気にかかる!
(14)パソコンを使うことがぜいたく?
(15)ワンツウ寺が吉祥寺?
(16)バーベリーは、電車が大好き!
(17)テレビは大きらい!
(18)私の、通信簿!
(19)胸を張ってかっこよく!
(20)「おめでとう!」
(21)新たな旅立ち!
(22)チャンピーがいたら40歳!
   
第2章
(1)広い所は大嫌い!
(2)鶴の一声!
(3)私達は、不法侵入者!
(4)これからが、本当の二人三脚のはじまり!
(5)穴があったら入りたい!
(6)壊れない物って何だろう?
(7)あと書きに変えて!
その日が来た!もう引き返せない。
 

  もう、引きかえせない!96年4月11日、飛行機は、青い空に吸い込まれた。20数年ぶりの東京の地、なんら変わりがない・・・・。 
「山戸さんですか?」と、訓練士さんの晴れ晴れしい声。
「はい!山戸です。  よろしくお願いいたします!!」私達は、しっかりと握手をした。訓練士さんの、名前は中橋さんと言う。
中橋さんは、次々に到着する仲間達を捜して、忙しく飛び回っていた。
「さあ!これで、全員集合!!」  同期生は、沖縄の宮里君、石川県の堀江さん、長野県の広沢さん、そして、私の4人。
協会までは、8人乗りのワゴン。私達は、以前からの知り合いのように、パソコンや、故郷の話をした。私は、心の中で"パソコンを、少しでもやっていて良 かったと思った。最初から、乗り遅れていては、先が思いやられる。中橋さんは、私達の話に相槌を打ちながら、車内から見える景色を、事細かく説明してくれ た。
私は、車内で、彼女達の活動的な話に"全国には、本当にいろいろな人がいるものだなあ"と感心した。協会の前に、車がぴたりと着けられた。
「ここからは、一人ずつ部屋へ案内します。皆さん、ここで白杖をたたんで下さい。」  「エー?!」と、みんなの驚きの声。
「これからは、犬と歩くんですよ」と、中橋さんは励ましてくれた。それから、私達は、一人一人部屋へ案内された。
中橋さんの説明は完璧で、壁にぶつかることもなく、スムーズに歩くことが出来た。私は、"自信に満ち溢れているんだなあ"と、心の中でつぶやいた。
「荷物の整理でもしながら、少し休んでいて下さい。後で、食堂の方へ案内します。」と言って、中橋さんは、一気に階段を駆け下りて行った。
私は、ベッドに腰かけ、意味のないため息をついた。「皆さん、食事の準備が出来ました。」私達は、一人ずつ食堂へ案内された。
食道には、理事長さんを始め、協会の皆さんが揃っていた。
私達は、自己紹介と、アイメイトを使う理由を手短に述べた。協会の食事は工夫されていて、自立の一つに数えられているようだ。
私達は、これから、厳しい訓練が待っていることも忘れて、和気藹々と楽しい一時を過ごした。今日の、スケジュールはここまで。
私は、初っぱなから、彼女たちに圧倒されていた。消灯時間が過ぎても、私達は、寝ることも忘れていろいろな事を話した。
同期生で、少し可哀想なのは、ただ一人の男性の宮里君。
協会に来て、初めての夜は、何となく落ち着かない・・・・。  

 
入学式!
 

 「皆さ ん!オハヨウございます。」中橋さんの、元気の良い声に、私は、少し緊張した。入学式は、食堂の広間で行われた。
式のないようは、まず、理事長さんの挨拶の後、職員の紹介があり、それから、訓練生の一人一人が、アイメイトを使う理由と、決意を詳しく述べた。昨夜の、 簡単な自己紹介とは、全く違い、一人歩きに懸ける熱意が伝わってきた。アイメイトを、使う理由に個人差はあっても、自分が自由に自分の判断で行動したい! と、思っているのは同じだ。
日頃、私達視覚障害者は、相手の都合にあわせることが少なくない。この事は、見える者にとっては、連れていって貰うのだから、当たり前!のように思われる が、この事は、結構ストレスになる。
そのため、私達視覚障害者の多くは、外出が出来ない者も多い。
私も、これまでに、ずいぶん情けない思いもしてきた。
「ここへ置いておけ・盲の扱いには慣れている・見えもしないくせに・・・・・・。」一つ一つ、あげればきりがない。人間として見るのではなく、物のように 扱われたことは、そう簡単に忘れるものではない。
私は、これまで、自分なりに努力をしてきたつもりだがなかなか、世間では「見えないわりには・・・」とか、「見たこともないくせに・・・。」など、した事 を評価する祭にも、「見えないわりに!」と言う、条件付きのことが少なくない。
誉め言葉も、どを越すと嫌み!になる。もう少し、自然体で接してくれたら・・・・・。
入学式は、1時間足らずで終わった。私は、式の間中、"どんな犬がくるんだろう?!"と、人の話はほとんど聞かず、その事ばかりが気になっていた。" あー、はやく犬に遭いたい!"午後になっても、まだ犬には遭わせてもらえず、ハーネスだけで、中橋さんについて歩いた。ハーネスだけで歩く理由は、犬との 相性を見るためだそうだ。
犬が好きとか、嫌いとかではなく、主人の性格・しんちょう・歩行の早さや癖などが、犬との相性を決めるのに大切な事だそうだ。
訓練士さん達には、ハーネスの動き一つで、ほとんどの事が解るらしい。
ハーネスにつかまって歩いたときには、"結構早いなー!"と、少し心配になった。1キロメートルくらい歩いて、婚約者を決める。
その後は、簡単なミーティングがあっただけで、少し気が抜けた。

 
結婚式・私がお母さんョ!
 

  さあ、歩くんだ。今日は、待望の結婚式!私達は、少し、あらたまって席に着いた。理事長さんの簡単な説明が終わり、いよいよ結婚式。
まず、一人一人の犬の名前と、その意味の紹介があり、やっとのことで、ご対面!!「山戸さん、アイメイトですよ!名前を呼んであげて下さい。」私は、小さ な声で「バーベリー!」と、しゃがんで呼んだ。すると、バーベリーは、胸の当たりに鼻をすり付けてにおいをかいでいたが、少し離れて、ほほを二度三度なめ てくれた。
私は、バーベリーの背中に手を回して、自分の胸の中にしっかり抱き寄せた。バーベリーは、思っていたより、とても小さくて静かだった。しばらくして、理事 長さんが「バーベリーは、人見知りするが、信頼関係が出来れば、とても良い仕事をする利口な犬ですよ」と自信たっぷりに言った。
バーベリーと言うのは、花の名前だそうだ。私は、心の中で"バーベリー・バーベリー・・・"と、くり返した。
この子は、どんな顔をして、私を見ているのかと思うと"人目だけでも見てみたい!"と言う、気持ちがこみ上げてきた。これから、約10年間、一緒に暮らす この子を・・・。 

 
初めの一歩!
 

 ハーネ スを、しっかり握って、「GO!」と、力をこめて命令した。
すると、バーベリーは、ちら理!と後ろを振り向き早足で歩き出した。
私は、何となく体のバランスが崩れ、犬に引っ張られながら、小走りについていった。
"速い・速い・・・!" 初めは、2キロメートルくらいのコースだったが、何度か曲がったり、いくつかの横断歩道も渡ったが、何がどうなっていたのか覚え られず、犬について歩く事が精いっぱい。訓練が終わって聞いてみると、今日のコースは、交差点をわたる訓練と、信号の判断をする簡単なコースらしい。
"これで簡単? こんな調子では・・・"夜のミーティングが終わり、コースの事を思い出してみたが、何一つ覚えていない。ただ言えることは、田舎で生活し ている者にとって、あまりにも車の量が多すぎ、音の整理がつけにくい。私は、いままで、信号の判断は犬がしているのかと思っていた。考えてみれば解ること だが、犬は色盲で、そんな事はありえない。
その事は知っていても、盲導犬は特別な犬で、なんでも出来るような気がする"こんな事では・・・"と、最初から落ち込んだ。 
犬との信頼関係が出来てくれば、ハーネスの動き一つで、何をしてどんな事を考えているのか?解るらしい。いまは、とても信じられない。今夜からは、バーベ リーと、寝食を共にする事になる。私は、"夜中に、騒ぎだしたらどうしよう"と、犬の寝息に気をつけた。
バーベリーは、2・3度寝返りしたが、同じ部屋に、犬がいることなど気がつかないほど静かだった。協会は、東京の練馬区にあり、一番近い繁華街は吉祥寺 だ。吉祥寺までは、二キロメートルくらい離れている。いずれ、繁華街のコースも通るらしい。何がどうなったのか解らないまま、やっと一日が終わった。夜の 東京は、眠らないのか?休むことがない。
救急車は、ひっきりなしにサイレンを鳴らして通り、暴走族は、けたたましいエンジン音を残して走り過ぎて行く。私は、"やっぱり、田舎が良いなあ"と思っ た。
眠りにつかない大都市にも、やがて、渦巻くような一日が始まる。私は、ほとんど眠れないままに、ラジオのボリュームをあげた。いくつもの放送局が、我先に とトップニュースをながしていた。何を聞くでもなかったが、しばらくして、隣の部屋で、6時を告げる目ざまし時計が鳴った。"あー、また、1日が始まった んだなあ・・・・"   

 
訓練生達!
 

  何が、どうなっているのか、解らないままに数日が過ぎた。私達は、以前からの親友のように、いろいろな事を話した。沖縄の彼は、とても熱血漢溢れる好青年 で、政治経済を始め、病気やパソコンにも詳しく、話題にはこと欠かない。そのくせ、繊細な心の持ち主で・・・。彼は、沖縄全体に不合理を感じ、自分なりの ポリシーをもっていた。彼は、あらゆる事に興味をもち勉強していた。
一方、石川と長野の彼女達は、全く性格が違っていたが、どう言うわけか、やけに気が合った。
石川の彼女は、つうしょう「マコさん」と言われ、小さな体にはバイタリティーがあふれていた。彼女は、アイメイトと二人で、タイへ留学することが夢だそう だ。そのために、多くの勉強をしていた。
なかなか、難しいと言われている大学をストレートで合格し、優秀な成績で卒業している。視覚障害者が、晴眼者と方を並べて教育を受ける事は、並大抵の苦労 ではない。それを、彼女は、さも当然のようにやってのけるからすごい。 
彼女を見ていると、やっぱり、どこかに人を引きつける魅力と輝きがある。東京の町を、白杖一本で7年間も飛びまわり、中央分離帯にも、何度か立ちすくんだ とか・・・・。 ふつうは、そんな体験をすると、しばらくは恐くてどうしようもないが、彼女は、「あー、命があって良かった!」と思い直し、何事もなかったような顔をし て、また小走りに歩き出す。驚異的な精神力の持ち主。
そして、もう一人の長野県の彼女は、学生時代に知り合った彼と、苦労のすえ結婚し、前向きな生き方をしていた。マコさんとは全く違う性格だったが、彼女 は、自分なりの生きがいをもち、いきいきしていた。
現在、彼女は、信州放送のラジオ番組のレギュラーとして活躍する一方、「語り部」として、子供達に民話を語り告いでいる。彼女のしゃべり方は、本当になめ らか。さすが、セカンド訓練(二階め)だけあって、犬との生活には慣れていた。ほかにも、先の組の訓練生達もいたが、ほとんど接触がない。こんな、彼・彼 女達に囲まれて、私は、自分の無学さを思い知った。彼・彼女達は、それぞれ高等な教育を受け、とても洗練されていた。とは言っても、悩みは同じ。それなり に、気が合って楽しい。「このクラスは、仲が良くていいですね。クラスによっては、全然話の出来ない人もいるんですよ。」と、中橋さんは感心していた。私 の、心配は他にもあった。それは、年の差。親子ほど離れており、体力と瞬発力があまりにも違いすぎた。理事長さんが気を使ってくれ、「山戸さん、40歳と は思っていないからネ。4かける0歳と思っているからネ!」と笑った。

 
1回めのテスト!
 

 「午後 は、このコースのテストです。 午前中は、声をかけませんので皆さん頑張って下さい!」
突然の、知らせにあぜんとした。何回か歩いてはいたが、言われるままに行動しただけで、地図が、全く頭の中に入っていない。ところが、驚いたことに、彼女 達は地図の復習をしているではありませんか。「あの通りには信号があり、あそこの角にはクリーニング屋があって、青梅街道についたときには、右手にバイク 屋があり音楽がかかっている・・。」しっかり、コースを覚えていた。
私は、話についていけずあせった。しばらくして、午前の訓練が始まり、私は、一回の歩行で、コースを全部覚えるハメになってしまった。いままでの、つけが 一気に回ってきた。もう、こうなっては覚えるしか方法はない。"よし、行くぞ!"と、気合いをかけ、ハーネスをしっかり握り、「GO」と命令した。バーベ リーは、いつものようにたんたんと歩き出した。私は、一つもみおとすまいと、足下の感覚にも気をつけ、周囲の雑踏にも耳を澄ませた。気をつけて歩いてみる と、都会の雑音にも、何となく一つの流れがある。その上、交差点・信号の多いことに驚いた。これまで、あまりにも、あなたまかせだった事を反省した。
数日が経過していたが、張りつめた空気になじめない。協会の建物は、危険性を考慮して、ほとんどのドアーがガラス張りになっている。どこを歩いていても見 えるように考えられている。安全が一番だが・・・。
自分の部屋にいる時だけが、唯一、一人だけの世界。 「さあ、これからテストです!ついていきませんので、一人で青梅街道まで行って帰ってきて下さい!」 と言われ、一廻目のテストが始まった。年功序列と言うわけでもないが、最初に挑戦させられた。
「山戸さん、頑張って下さい!」と言う声に見送られ、私達は、雑踏の中へと出発した。一回目の角を曲がり、通称バス通りと言われている交差点にさしかかっ たところで、早くも失敗!!そこは、左側に駐車場があり、犬の向いている方向に気をつけていないと、とんでもない方向に進めてしまう事になる。私は、道順 の事ばかりに気をとられ、バーベリーの位置を確かめず、「ライト」の指示を出してしまい、コースからはずれ、思いがけないアクシデントにあせった。"ま いったなあ、こんな場所?通った覚えないぞ!落ちつけ・・・落ちつけ・・・。"
しばらくの間、自分がどっちを向いているのかも解らず、ほとほと困り果てた。あせればあせるほど、わけが解らなくなってくる。 ここで、挫折してはもとも こもない。制限時間は特にない。私は、もう一度来た道を考え、頭の中でくり返した。 "タバコ屋の角を曲がって、バス通りまで出て、突き当たりのクリーニ ング屋の駐車場のライトコーナーにつけ・・・・・。"と独り言を言いながら、やっと自分の位置をつかんだ。
私達がたっていたのは、正確なコースより90度ずれており、コーナーを一つ曲がりすぎ、来た道の向かい側にいた。気をとり直して、「バック・ライトコー ナー」で、私達は歩き始めた。"バーベリー、よしよし、その調子・その調子!" いくつかの交差点をわたり、やっとの思いで青梅街道に着いた。
青梅街道は、午前中とは雰囲気がちがい、車の量が増えざわついていた。私は、いつものように指示を出したが、ライトコーナーにつける事が出来なかった。何 度か試してみたが、結果は同じ事。
"あれ、ちょっと様子が違うぞ!"冷静になって状態を確かめてみると、なんと!工事中になっていた。"これは、まいったなあ!"突然の事で、状態がつかめ ない。私達は、しばらく様子をうかがった。
いろいろな音を整理して聞き、バス通りの交差点のコーナーが解った。私は、バーベリーを右側すれすれにつけ、信号が変わったところで、「ストレート!ハッ プアップ(急いで)・ハップアップ!!」で、何とか第二関門を突破した。"これでシメシメ。後は、押しボタンの信号が解れば・・・。"と、思ったのもつか の間。帰りの道がやけに長い。それもそのはず、少し気をぬいてしまい、交差点の数を一つ間違え通り過ぎていた。"これは、またミスッタなあ!"もう、こう なると通行人に聞くしかない。
都会の人は、田舎の人のように、その近くに住んでいることは少なく、どう聞いても知らない人が多く、気が気ではなかった。数人に聞き、やっと、押しボタン の信号までたどり着き、協会の前で「お帰りなさい!」の声を聞けた時には、人目もはばからず飛び上がった。バーベリーは、まだまだ、中橋さんの方がいいの か、よそ見をしてキョとん!としていた。
今回のテストは、人それぞれアクシデントがあったが、全員無事に帰って来る事が出来た。このコース別のテストは、時間内に帰ってくるのではなく、歩行の ルールを守り、目的地にたどり着く事が主体になっている。このコースは、スムーズにいけば、30分くらいで帰ってこられるが、私は、迷いに迷って1時間近 くもかかってしまった。
この苦い経験を生かして、次回からは、初めてのコースは、事細かくメモをとる事にした。ミーティングが終わると、そのメモを参考にし、頭の中で、足下の感 覚・道路状態など、弐頭立ての独自の地図を作った。

 
点字の地図が解らない!
 

 言われ るままに訓練をかさね、2週間が過ぎた。今まで、ミーティングの時間がうまくとれず、中橋さんの悩みの種になっていた。ミーティングの時間はとっていて も、話題が横道にそれる事が多かったが、ここにきて、やっとスケジュールの調整がついた。 
ミーティングは、アイメイトに関する講義・次のコース説明が主になっている。アイメイトの話は、興味深く聞くことが出来るが、コース説明が今一つ苦手。な ぜなら、私は、今まで点字の地図を見たことがない。他のクラスメイト達は、授業で何時間も使っており、コース確認の地図などとるにたらない事。それに比 べ、私は、地図の全てが初めての経験。指先の感覚だけで、コースを覚えるのも一苦労。一応、言葉で説明があるが、なかなか、一度聞いただけではコースが頭 の中に浮かんでこない。
その後、地図に触って完全に覚えるのだが、それが、そう簡単に問屋がおろさない。
私は、とうとう最後まで、地図に触れて覚えることが出来なかった。私は、自分なりに、頭の中に地図を描いた。これまで、私は、視覚障害者の自立のための、 歩行訓練・点字、そのほか、生活訓練の指導を受けてなく、全ての訓練を、長い間受けている彼女達とは、根本から違いすぎた。
私は、今日まで、白杖一本で歩いた事がほとんどない。杖一本で、東京の町を、7年間も飛び回っていたマコさんとは、出発点からはやくも違う。だが、私に も、誰にも負けないことが一つだけあった。
それは、信号の判断。たいていの人は、車の流れを聞いて判断しているが、その方法では、右折・左折の場合、車の量が多い場所では迷うことも少なくない。私 は、車の流れも聞いているが、同時に、一台の車に搾り、その車が交差点に入り、そのまま直進したか?それとも、左右どちらかに曲がったのかを、車全体の流 れと一緒に、音を整理して聞いていた。この癖がついていると、広い道路での青信号でも、直進車専用・右折車・左折車、または、歩行者専用の青なのかがはっ きり解ってくる。この方法は、間違いが少なく、信号の判断に自信がつく。
私が、彼女達にほこれることは、後にも先にも、信号の判断だけ。けど、この事は歩行訓練では、かなり重要になってくる。信号の判断が正確でないと、歩行中 のリズムがつかみにくい。

 
恐怖のふみきりコース!
 

 「それ では、新しいコースの説明をします!」と、中橋さんの声がすると緊張感がみなぎった。
私達は、うすうす今度のコースの事を知っていた。「このコースは、歩道もほとんどありませんし、折り返し地点で、ふみ切りを二カ所通って帰ってきます。」  私達は、"やっぱりネ"と、大きなため息をついた。地図を、見ていた彼が驚いたのも無理はない。今度のコースは、ふみ切りがある上に、手前には、四差路 ではなく、親切なオマケつきの五差路。
一つ通りを間違えば、とんでもない住宅街に入る事になる。いぜん、7廻も迷って、やっと帰ってきた訓練生もいたとか?卒業生達から、このコースが疲れの ピーク!とも聞いている。
これをクリアーすれば、ある程度自身がつくとか?「このクラスは、本当に楽ですねー!ちずが解らなくても、しっかりコースを覚えてくれるし・・・。」 ま さに、私の事。
ほめられたのか? あきれられたのか・・・? 中橋さんによれば、生まれた時から全盲の人は、道路の状態が上手く想像が出来ず、夜中に、何回も、中央分離 帯にあがり、道路のながれを掴む訓練・信号の判断をくり返した事もあるとか。
「山戸さん、何か質問は?」と言われ、いつも足を引っぱっていた。とは言っても、その場で覚えているから、それほど棄てたものでもない。

 
さあ、践み切りコースの始まり!
 

 初め は、一人ひとり出発した。 何と言っても、見えない者にとって、ふみ切りは、何となく不気身。
陽水の「開かずのふみ切り」・・・では?「山戸さん、行きましょう。」"何となく、気がおもいなあ!"私は、しぶしぶ出発した。
このコースは、思っていたよりすごい。青梅街道まではスムーズに行く事が出来たが、交差点をわたる事がひと苦労。どういうわけか、何回指示を出しても、 バーベリーがわたってくれない。数回試してみたが、結果は同じこと。"おかしいなあ、邪魔になる物は何もないはずだが・・・"私は、どうなっているのか? 納得がいかなかった。気をとり直して、何度かやり直してみたが、同じ事のくり返し。バーベリーは、ストレートの指示に、レフトに行ってしまう。私は、心の 中で、"中橋さんは見ているはずなのに、はやく教えてくれたら良いのに・・・!"と、いらいらした。やがて、中橋さんも見かねたのか?「バーベリーが正し いのです。横断歩道は、もっともっと左側についています。信号を、間違える事はないと信じていましたので、声をかけませんでしたが、もう少し、犬を信頼し て下さい。」と注意された。
私は、交差点の事ばかりが気になり、横断歩道の位置までは気が回らなかった。"バーベリー、すまん・すまん!これからも、しっかり頼んだぞ"私達は、気を とり直して歩き出した。
「ここは、信号のない交差点です。ここからは、一方通行になっています・・・。」いろいろな説明を聞きながら進み、やっとれいの場所に着いた。地図を、思 い出して歩いてみると、"なるほど・なるほど、思っていたよりすごい!" ふみ切りも広いし、車の量も半端じゃない。このコースは、一人歩きの時には、とてもあぶない。青梅街道を過ぎれば、歩道は全くなく、車が建物すれすれに 走っている。私は、コースを覚えるのも大変だったが、アイメイトを、左サイドに寄せて歩く事に神経を使い、帰って来たときには、立ちくらみがした。中橋さ んは、「お疲れさま!」と言って、肩をたたいてくれた。長年の経験で、生徒の気持ちが手にとるように解って胃る。
私は、帰ってからも、しばらくは、緊張がとれなかった。これから、シャバ!に出るためには、どうしてもクリアーしなければならない。"よくまあ、こんな コースを探して来たものだ!"あー、はやくお街に出たい。

 
「しょうしな」って、どう言う意味?
 

  あー、待ちに待った休日。 私は、この頃になってくると、身も心もくたくたになってきていた。何と言っても、歩く距離が半端じゃない。 慣れない寄宿舎生 活も手伝って、体調も崩れてきた。それに比べて、彼女達の、元気なこと・元気なこと。頭の切り替えが素晴らしいのか?全く、疲れを感じさせない。マコさん なんかは、休日を利用して、タイ語を勉強していた。沖縄の彼も、何かを・・・。私だけは、勉強どころではなく、自分の体調を整える事が精いっぱいだった。 やっぱり、団体生活は、いつも、見られているようで落ち着かない。 何年も、寄宿舎生活をしてきた彼女達とは、ここでも差が出てしまった。
このとしになれば、頭の切り替えが上手く出来ず、何もかも引きずってしまう。私は、休日でも、訓練の事が離れず、いつも、気が張りいらいらしていた。その 点、彼女達は、本当に頭の切り替えが上手い。「訓練は訓練・休みは休み!」と、何の、不安もなさそうに、はしゃいでいた。私自身、そんな彼女達を嫌いでは なかった。と言うより、むしろ好きだった。
彼女達のおかげで、ずいぶん救われた事もある。中でも、彼には、二会もマッサージをしてもらい、感謝している。本職とは言え、彼のする事は、丁寧でなめら か。マッサージをしてもらいながら、私達は、いろいろな事を話した。彼は、話題が豊富で、すべての事に情熱をもっていた。その中で、私達は、パソコンや障 害者の事について話した。パソコンの事は、それなりに話が出来たが、障害者の事になると、あらゆる勉強をしており、自分の世間知らずにあきれた。
私は、狭い意味での考え方をしていたような気がした。世の中すべての事に興味をもち、自発的に活動していた。彼と話していると、なぜか、力がわいて来るの が不思議!。合同訓練に入るまで、約6カ月もの間、母親といっしょに歩き、体調を整え、訓練にすべてをかけていた。なかなか、まねの出来ることではない。 彼自身、いままでに、ずいぶんつらい思いをしてきたことが、彼の話ぶりから、気持ちが見てとれた。
休日の、もう一つの楽しみは、少しオーバーぎみの世間話。長野県の彼女なんか、稲刈りに行く時、知らなかったとは言え、「パンプスをはいて行った。」と言 う。「田植えとちがって、水がないからだいじょうぶ!」と、本気で思ったらしい。知らないってことは、本当に・・・。 
一方、マコさんと言えば、いつも、何かにぶつかり、生傷がたえず、通行人に、バンソウコウをもらったこともしょっちゅうとか。虫も殺せないような顔をし て、する事は、本当に大胆。マコさんの、チャレンジ精神には、一同脱帽。全盲の彼女が、四階の階段の手すりをすべりおり、始末書まで書かされたとか?その 話を聞いた彼が、「想像するだけで心臓が踊る!」と言うから、これまたおもしろい。
そう、彼は体はでかいが、高所恐怖症だった。この頃になると、「このクラスは、女性の強いこと・強いこと」と言うのが、彼の口癖になっていた。こんなクラ スメイト達は、地方に住んでいながら、まったく、方言を使わなかった。
私は、最初は、方言混じりで話していたが、ある時、「こんな事では、ほんまにしょうしな・この頃、掃除せんもんやけん、さがれてさがれて・・・。」などと 言うと、必ず、「エッ?」などと、何回も聞かれ、その内、いちいち説明するのもめんどうくさくなり、それからは、標準語で話すようにした。まわりが、すべ て標準語のため、説明するより簡単。協会では、職員も、すべて標準語で話していた。
言葉使いでの、おもしろい話がある。以前のクラスに、九州出身の生徒がいて、最初は、標準語を無理して使い、アイメイトをほめるときにも、「良い子・良い 子!」と言っていたのが、ある時、アイメイトが、きちんと仕事をしてくれたのが何よりうれしくて、「よおっしゃ・よっしゃ、よかばってん!」と、さけんだ ものだから、一同大爆笑。
「やっぱあ、なれんこと言うがは、ほんまに骨が折れますたいネ!」

 
指導員がたりない!
 

 さまざ まなクラスの中で、職員達は、きびきびと働いていた。協会には、理事長さん一家をはじめ、指導員が四人と、その他に、見習い職員が二人・ボランティアの食 事係が一人いる。
指導員の仕事は、朝も早く、夜も10時をまわる事も少なくない。犬が、好きだけでは出来る仕事ではない。協会には数十匹の犬がおり、すべての世話を4・5 人でこなしている。
協会では、この二倍の職員が「理想」とか。指導員が四人のため、年に数回合同訓練が入る。
合同訓練とは、犬と主人になる者との、約一カ月の寝食をともにする訓練のこと。訓練中は、指導員も泊まり込む。協会では、合同訓練の事を「クラス」とよん でいる。
一カ月も、つきっきりで指導をすると、ベルトの穴が、数個ずれるらしい。それもそのはず、指導員は、生徒の約3・四倍の距離を歩く事になる。その上、建物 の中でも、階段の上がりおりをはじめ、食事の際の気配り・生徒の健康状態、それに、夜の講義もなかなか大変。合同訓練中は、生徒でも120キロメートル は、かるく歩くと言うから、指導員は、一廻クラスを持てば、ここから、大阪あたりまで歩いた事になる。体力と、精神力の勝負!好きだけで、勤まる仕事では ない。
現に、盲導犬の訓練士をめざして入ってくる者も多いが、現実は厳しく、何年もたたないうちにやめていくらしい。その証拠に、この協会にも、20年以上のベ テラン指導員が三人と、十年目の指導員が一人いるだけ。
指導員になるには、厳しい見習い期間が数年と、インターン期間が何年間かあり、理事長さんの判断により、やっと、訓練士の免許を取得する事が出来る。中堅 クラスの指導員がいないと言う事は、思っているより厳しい世界。
以前、理事長さんは、2カ月以上も目隠しをしたままで生活し、みずから、視覚障害者の可能性を見い出した。40年前に、日本で初めての盲導犬を世に送り出 している。アイメイトが誕生するまでには、口では言えない苦労をしていた。訓練士に裏切られた事・2度にわたる大病にもめけず、アイメイト一筋に生き、す べての可能性に挑戦し、確かな自信とほこりを持っている。
指導員たちも、理事長さんを心から尊敬し、いきいきと働いていた。  

 
さいは、投げられた!
 

 ふみ切 りコースの、テストの始まり・はじまり!「では、山戸さん、頑張って下さい。」中橋さんの声に見送られ、私達は出発した。青梅街道までは、何のトラブルも なく順調。
"バーベリー、よし・よし、この調子で頼んだぞ" 交差点も、スムーズにクリアー。私は、このコースに、恐怖をもっていた事など、すっかり忘れ快調にとば した。とたん!!目の前で、突然、遮断機のおりる音がした。"あれ、まさか?'そう、私達は、調子に乗り、気がつかないうちに、ふみ切りの所まで来てい た。私達は、停止線ぎりぎりに止まっており、目の前を、電車が通り過ぎた。"ふみ切りの外で良かった"遮断機が上がると同時に、車が、一斉にふみ切り目ざ して流れ込み、左サイドに押され、立ちすくんでまごまごしていると、また、かねが鳴り遮断機がおりた。くるまはピタリと止まり、また、あの怪物が通り過ぎ た。
いままでの訓練で、ふみ切りの幅は解っている。もたもたしていては、同じ事の繰り返し。
私は、バーベリーをめいいっぱい左につけ、遮断機が上がると同時に、「ストレート!」の指示を出し、一気に駆け抜けようとあせった。あせればあせるほど、 ろくなことがない。線路の間に足が挟まり、前のめりにころび、その反動で靴が脱げてしまった。手を伸ばして線路の中を捜したが、なかなか見つからない。手 の上を、車が通り過ぎていく感じがする。いくら捜しても靴はない。車は、せきを切ったように流れ、鼻をつく排気ガスと、巻き込まれそうな風圧で、みうごき 一つ出来ない。私は、できるだけ手を伸ばして捜したが、どうしても見つからない。"本当にまいったなあ。このままでは、また、遮断機がおりてしまう"私 は、なすすべもなく、立ち上がった。とたん!見かねたのか?偶然なのか?バーベリーが、グイッ!と引っ張り、鼻を、靴にこすりつけてくれた。"オー、これ で助かった!"靴を手に持ったまま、恥も外聞もない。私達は、一気に、ふみ切りを駆け抜けた。いきつく間もなく、また、遮断機が下りた。"オー、命拾いし た"背中に、冷たい物がはしり、足がふるえ、しばらくはその場へ立ちつくした。私は、バーベリーを心ゆくまでほめ、気持ちを切り替え、次のふみ切りに向 かった。
わずか、一つ向こうの通りだったが、ふみ切りに着いて見ると、やけに車の量が増え、トラックが多い。それもそのはず、帰りのラッシュにかかっていた。都会 の道路は、一筋違えば、様子がまったくちがうことに驚いた。 
ふみ切りは、何とかクリアーすることが出来たが、まだまだ、危険が待っていた。歩道のない道路に、トラックがいっぱい!いくら、犬を端に寄せても、すぐ真 横を、車が駆け抜けて行く。左手は、ハーネスを握っているが、右手が、車に当たり、巻き込まれそうで恐い。その上、信号のない交差点も多く、何をどうすれ ば良いのか?解らない。立ち止まって考えることも出来ず、ただ、ひたすらつき進んだ。青梅街道をわたり終えた時は・・・。"これで、シメ・シメ、これから は、チョロイ・チョロイ"私達は、軽快に歩いた。とたん!バーベリーが、左にしゃくるように引っ張った。私は、何がおこったのか解らず、傾いた体を起こそ うとしたら、目の前を、一台の車が通り過ぎた。私達は、路地で止まらず、通過しようとしていた。"バーベリーの方が、悪いと思うが、命拾いしたんだか ら・・・。こんな時は、叱ればいいのか?それとも・・・?"とにかく、私は、オーバーにほめた。
視覚障害者の歩行は、気をつけていても危険がいっぱい。 ときどき、小さな路地などは、そのまま通過することもある。犬に、頼りきっていては、いつまで たっても進歩はない。犬は、安全な所を通ることは出来るが、目的地までの地図を、すべて知っているわけではない。
主人が、しっかり、自分の位置を確認し、歩行する事が重要になってくる。このことは、思ったよりなかなかむずかしい。緊張がさめないまま、私達は、協会 に、どうにか辿り着いた。中橋さんの声を聞くと、一気に力が抜け、足元に崩れ落ちた。このコースは、よく工夫されており、いくつもの経験が出来るように なっている。その夜のミーティングは、もっぱら、コースの事でもちっきり。
中橋さんが、「あの、マコさんが、協会に着くなり、私に抱きつき泣き出したのには、本当に驚いた。」と、言うではありませんか。それを、聞いた私達も、ま たまた驚いた。マコさんと言えば、何事にも負けない、驚異的な精神力の持ち主。そんな彼女が、涙した!と言う。驚かずにはいられない。マコさんも、てれく さいのか?自分から理由を説明した。
彼女の話によれば、ふみ切りをわたっている最中に、遮断機がおり始め、電車がすぐ近くまでせまり、犬が、突然止まってしまい、あせって、犬を抱えて引っ張 りだしたそうだ。犬は、「キャン・キャン!」と泣き、自分自身も恐怖で・・・。五差路で、迷ってしまったクラスメイトもいれば、私のように、靴が抜けたり して、皆、それぞれに恐怖体験をした。
「皆さん、これから、次のコース説明をします。」 中橋さんの声に、私達は、深いため息をついた。「今度のコースは、テストはありませんが、とても大切な コースです。」と言って、説明を始めた。今度のコースは、それほど難しいことはないが、交差点の数が半端じゃない。「このコースは、協会を出て、タバコ屋 の角を右に曲がり、バス通りを左に折れ、一本め・二本目が信号で、三本目・四本目・・・・11本目が女子大通りの信号で、12本目・13本目の信号をわた らずに、バス通りの交差点をわたり、突き当たってまた右に折れ、1本目・2本目が信号・・・・5本目・6本目の信号をわたり、次の、押しボタンの信号を右 に折れ、クリーニングの角を曲がり、協会まで帰ってくるコースです。」 注意して歩けば、恐いコースではないが、交差点の、数の多さが不安! なぜか?  すっきりこない武蔵野コース。

 
一時停止が気にかかる!
 

 「山戸 さん、行きましょう。」
今回は、昨日までのコースのことを思えば、ずいぶん、気が楽だ。私達は、自然に歩きはじめた。
8本目の交差点の近くで、「止めて!」と、言われたのだが、私は、その言葉が、「ほめて!」と聞こえ、"なに?"と思ったが、歩きながら、「GOOD・ GOOD」と、ほめた。
「山戸さん、止めて!」と言いながら、中橋さんが走ってきた。都会のざっとうの中では、聞き違いをすることも多い。私は、しかるとほめるを聞きちがえ、都 会のど真ん中で、私の方が叱られた。
理由は、一時不停止。
しばらく歩いて、「ここは、何本目ですか?」と聞かれ、「エッ?10本めです。」「そうです。その調子で進んで下さい。」実際のところは、途中で交差点の 数が解らなくなっていたが、適当に答えた。
"これは、いつまた聞かれるか?しっかりしなきゃ"このコースは、だらだらとやけに長く、緊張感はないが、気を抜く事も出来ず、なんとなくしっくりこな い。このコースは、ペアーをくんで歩いた。
私達が終わり、マコさんと、世間話をしながら休んでいたら、玄関口の方がやけにうるさい。私達は、窓から覗いてようすをうかがった。
すると、いつも冷静な彼が、以上に亢奮していた。理由は解らないが、大きな勘違いをしたらしい。
部屋に、帰ってきた彼に聞いてみると、13本めの交差点をわたってしまい、注意されたが思いこみが激しく、頭の切り替えが出来ず、真っ白になり、信号の判 断も出来ず、困りきって帰ってきたらしい。根が真面目なだけに、まちがえた時の、落ち込みようは半端じゃない。
その夜のミーティングの時にも、思い出しては、反省していた。私は、このコースは通りをまちがえることはないが、ときどき、交差点を止まらず通過したり、 バーベリーが止まっているのにも関わらず、そのままほめただけで通り過ぎ、注意される事も多い。段差も、信号もない交差点は確認しようがない。
私達は、ミーティングが終わると、知恵を出し合い、何とか目印になることをさがした。結構、それぞれに、小さな事でも目印にしているのをあきれて笑った。 「三人よれば文殊の知恵!」と言うが、まんざら棄てたものでもない。
長野県の彼女は、さすがセカンド訓練だけあって、この頃になると、度胸がつき訓練を楽しみながら受けていた。私も、肩の荷はずいぶん軽くはなっていたが、 一時停止のところが気になりなんとなくすっきりしない。
私達は、少しずつ卒業してからのことを話すようになってきた。必ず、「順調に卒業出来たらだけど!」と言う前置きつきで。なにをしてみたいとか、どこへ 行ってみたいなど理想を交えて話した。
若者との話は、夢があって楽しい。

 
パソコンを使うことがぜいたく?
 

  ブラッシングをしていたら、理事長さんの息子さんが手紙を持って来た。タイから届いたばかりの、マコさん宛のメール。「読みましょうか?」「はい、お願い します。」息子さんは、さも当然のように読み始めた。私達は、その内容を聞いて驚いた。すべてが外国語。タイから届いたのだから、当たり前!と言えばそれ までだが・・・。読む者もすごいが、うなずきながら聞いているマコさんも大したものだ。「解りましたか?」「はい、ありがとうございました。」
私達は、「ウオー!」と、一斉に声をはり上げた。マコさんは、「内容は、特別変わった事ではなかった。」と、クス!っと笑った。そこで、彼がすかさず、 「だから、ついて行けないのよネー!」と、からかった。その時、私も、普通の大学を卒業した者は、教養の深さがちがうなあ!と、改めて感心した。
それと、驚いた事がもう一つ。協会に面会に来ていた友人に、アメリカからのメールを読んでもらい、それを、読むと同時にすらすら書きとっていた。私は、 テーブルの上の、点字を書きとる、コツコツと言う点筆の音に聞きほれた。
点字の達人を知らない私は、人間業!とは思えなかった。ふつうの、字を書くよりはるかに速い。
長年の経験と言えばそれまでだが、それにしても・・・。書取の、終わったマコさんに聞いてみると、「授業で、何年も使っていればこのくらいのことは当たり 前!」と言いながら、自分の頭をクシャ!っとなでた。マコさんは、いつもさりげないのが、なんと言っても彼女の魅力。日本語の書取もおぼつかない私にとっ て、英語の読み書きがすらすらのマコさんは、違う世界にいるような気がした。マコさんも、少し恐縮したのか?「山戸さんも、独学でこれだけ使えれば大した ものですよ。盲学校に行っていても、ほとんど読み書き出来ない人も結構いますよ。独学で、それ程速い事の方が、かえってすごい事ですよ。」と言った。
私自身、点字にはあまり苦労をせず、読み書きができる事に満足していたが、英語の読み書きは、まだまだ練習不足。最近では、パソコンに頼っており、点字の 方がおろそかになっている。長野県の彼女も、点字の腕前は相当なものだ。
**私は、いぜん、「道楽でパソコンができ、いいご身分よネー!」と言われたことがある。
確かに、安い買い物ではない。だが、決して、ぜいたくな物とは思っていない。なぜなら、私達にとって、パソコンは便利な物であり、生活にはかかせない物に なっている。たんに、道楽だけで使っているのではない。少なくても、私はそう思っている。視覚障害者の中でも、いろいろな考え方はあると思うが・・・・。
見えない者が、音声を頼りに、感じを書くことは簡単ではないし、点字だけで授業を受けてきた者にとって、性格な漢字変換は、想像以上に努力しなければなら ない。見えない者同士のデータ巷間では、気を使うことは少ないが、晴眼者とのメール巷間ともなれば、文章の書き方が気になる。
とは言っても、自分の努力しだいで、ある程度はクリアーできる。
なんと言っても、書きたいことを自由に書けるのが魅力。この便利さは、使ってみないと解らない。
私は、パソコンを購入した当時は、友人の助けを受け、自分なりに勉強し、なんとか使えるようになった。今では、簡単なプログラム(テキスト形式)は書ける ようになってきた。「時間があるから、やりほうだいよネー。」とも言われたこともあるが、時間がどれだけあっても、パソコンは一人歩きする物ではない。そ れなりの、操作をしないと動いてはくれない。それがまた、音声パソコンは簡単には動かない。当時は、毎日、図書館から資料を集め、数百本のテープを聞き、 友人の録音してくれた「NHK・パソコン実戦セミナー」のテープも合わせて聞いた。この放送は1年間あり、基礎を学ぶことができた。
時間があるとないでは、大きな違いだが、忙しく働いている人の中にも、高いレベルで操作している者も多い。単なる時間の問題だけではない。目的があるなし のちがいが大きい。
パソコンが使えるようになり、聴覚・視覚障害者が、メール巷間ができ、見えない者がモデムを返して、ファックスが送れ・通信ができ・その上、簡単な操作 で、点訳図書を自由に読むことができる。
他にも、家計簿をつけたり・アドレスの管理・なんと言っても、メール巷間が簡単にできる。視覚障害者でも、点字のできる者ばかりではない。
見えない者にとって、パソコンが、どれだけ便利!なのかを、もう少し真剣に考えてほしい。私は、パソコンを持っていながら、ほこりをかぶっている事の方 が、「物・集めの、道楽者!」だと思っている。 **
武蔵野コースも、今日が最終日。私達は、午前と午後の訓練を、ペアーヲくんで歩いた。最後だと言うのに、何となくしっくりこない。まだ、完璧に歩くことが できない。ペアーをくんで歩く際には失敗する事はないが、シングル歩行では、交差点をそのまま通過する事もある。車には気をつけて歩いているが、何もこな ければ、通過してもよいと言うことにはならない。テストがないせいなのか?今一つ、気合いが入らない。
その時が、言われるままになんとなく過ぎた。何だか?「あれよ・あれよ!」と言うまに、このコースは終わってしまった。

 
ワンツウ寺が吉祥寺?
 

 やっ と、シャバ!に出た。
「それでは、次のコースを説明します。今度のコースは、今までと同じように13本めまで行き、目の前の交差点をわたり、吉祥寺駅周辺を歩きます。」私達 は、うきうきしながら「ウン・うん!」とうなずきながら聞いた。「明日からは、少し気分的にらくになりますよ。駅前の商店街を、グル!っと回って協会まで 帰って来ます。」マコさんが、あん堵のためいきをついた。私達には、マコさんの気持ちが良く解り後に続いた。中橋さんは、「みなさん、どうかしました か?」と笑った。
「さあ、次の人行きましょう。」と言われ、駅を目指して出発した。「この交差点をわたれば、吉祥寺駅です。1本・2本・・・4本めの交差点を左に曲がり、 駅前の交差点を左に折れ、信号をわたり・・・・。突き当たりの交差点をわたらずに、右の交差点をわたり、バスどうりをわたり、右に折れて、いつものように 協会まで帰ってきます。」私は、昨夜の説明を思い出しながら、現地での説明と照らし合わせた。
「ここが、吉祥寺駅です。」"案外、小さい駅だなあ"と思ったが、人の数は半端じゃない。電車が到着した際には、セキを切ったような状態。"これはすごい "「ここが、商店街の信号です。歩行者専用ですので、人の流れについて歩いて下さい。」 商店街の幅は結構広くて、感覚がつかみにくい。さすが、バーベ リーは都会育ち。この人混みの中でも、ぶつかることもなく縫うようにすいすい歩いた。「どのくらいの混雑ぶりですか?」「結構、人が出ていますネー。」 と、中橋さんは見回すようにして言った。
"バーベリーお前、人を避けるのが、結構上手いじゃないか"「ここの信号も、人についてわたります。流れを妨げないように気をつけて下さい。」説明を聞き ながら、商店街を通りぬけた。
パチンコ店の前まで来たときに、「止めて!ハーネスをはずして下さい。」「エッ、どうしたのですか?」「ちょっと、ワンツー(排泄)じゃないか?と思っ て。」私は、"よりによって、こんなところで"と思ったが、ハーネスをはずし、指示を出したがする気配はなかった。声をかけられたところは、パチンコ店の 前だったが、まさか、店の前でさせるわけにもいかず、少し、離れた所にいったのが、お寺の庭先で、そのことを、クラスメイトに話したところ、いらい、その お寺を「ワンツー 寺!」と言うようになった。
"都会にも、けっこうなお寺があるもんだなあ"と感心した。ワンツー寺を過ぎると、後は難しいコースではないが、距離がやけに長い。訓練が終わると、レイ のごとく部屋に集まって、その日の感想を話した。今日のコースは、さほど変わったこともなくて、話がわきにそれた。何といっても、自由時間のおしゃべりは 楽しい。話に、加われない彼が少しかわいそう。話の内容は、とるに足らないものだが、年の差があるせいか?どんな話題でも新鮮味がある。
特に、マコさんの「オテンバ話!」には、笑わずにはいられない。彼女の話し方は、迫力弐はかけているが、どう言うわけか?説得力があり、聞き手を自分の世 界に引きずり込むのがうまい。話しと言えば、長野の彼女も負けてはいない。それもそのはず、彼女は話すことが商売。
何を聞いても、彼女のそばにいるだけで、幸せな気分になれる。さまざまな話の中で、私はいろいろなことを教えられ、そして、自分なりに受けとめた。
彼女達は、今までに出会ったことのない、数々の輝きをもっていた。それは、今を大切にし、すべてのことに、前向きにとり組んでいるためだ。障害者は、とか く、消極的になることが少なくないが、彼女たちを見ている限りでは、そんなそぶりはみじんもない。不幸とは思わないまでも、不自由なことは同じだと思う が、なぜか、悩みなどないようにさりげない。 長年の、経験と自信が、輝きに華をそえていた。

 
バーベリーは、電車が大好き!
 

 少しず つ、回りの景色にも気をつけることが出来るようになり、歩くことの楽しさが感じられるようになってきた。
「明日からは、乗り物の訓練に入ります。」「バスですか?電車ですか?」「駅までは、協会の車で行き、吉祥寺駅からは電車に乗り、帰りは、駅からバスに乗 り協会まで帰ってきます。」私は、テーブルの上に指で地図を書き、頭の中で納得した。沖縄の彼は、アイメイトをなでながら「いいね・いいね!」と、はしゃ いでいた。
「何回も言いますが、このクラスは、本当に仲が良くて楽ですネー。長い間この仕事をしていると、いろいろなことがあり、どうしたものか?と、思うことも少 なくありません。それにしても、最近は、パソコンの話が多くなりましたね。少し前までは、無線の話が大半をしめていましたが、このクラスも、パソコンの話 ばかりですネー。みなさん、パソコンの話が分かり安心しました。中には話についていけず、自分のからに閉じこもってしまう生徒もいました。山戸さんも、年 齢を感じさせないほど、パソコンの事が詳しいですネー。」パソコンに、年齢はないと思ったが、悪い気はしない。 
「さあ、行きましょう。ワンツーをすませて、玄関で待っていて下さい。」私達は、車に乗って出発した。「ここがどこか解りますか?よく音を聞いて下さ い。」私は、駅の近くということは解ったが、性格には解らなかった。 「最初のコーナーを左に折れ、商店街に入り右に折れて、突き当たりが吉祥寺駅です。」私は、やっと自分のいる場所が解った。駅の中は、大ぜいの人でにぎ わっていた。
「ライトドアー!」の指示で、駅の中へ入った。バーベリーは、少し亢奮しているようで、通行人について歩いていた。「駅や建物の中などでは、一定の流れが あります。人の流れにも気をつけて下さい。」駅など、特に目的が決まっている場合は、人の流れについて行く方が間違いが少ない。中橋さんは、駅の中を説明 しながら、「もう少しで切符売り場です。券売機の音が聞こえてきたら、切符の指示を出して下さい。」
駅に入ってしばらく歩くと、カチャカチャ!と言う、券売機の音が聞こえてきた。私は、「切符・切符」と、指示した。すると、バーベリーは、券売機の所まで はスムーズに連れて行ってくれたが、とても混雑しており、なかなか買うことが出来なかった。「叱って下さい。」どうしたのか?と思えば、前の人のにおいを かいでいた。
「人の流れに気をつけて、改札の指示を出して下さい。」「バーベリー、改札・改札!」と指示を出した。とたん!!バーベリーは、鼻の先を、投入口にくっつ けた。「よく、ほめて下さい。」私は、"さすが、盲導犬!"と感心した。今回は上手くいったが、まだまだ、すべてが完璧と言うわけにはいかない。駅の中 を、説明を聞きながら歩き、電車のホームに着いた。バーベリーは、乗り物が好きなのか?電車が入ってくる度に、きょろきょろ!して、なんとなく落ちつかな かった。
「次に、入ってきたら乗ります。」「ライトドアー」で、私達は乗り込んだ。乗り物に乗るときには、すべて、「ライトドアー」の指示を出す。この事の利点 は、主人は、つねにアイメイトの右側におり、主人が、先に乗り込むことが出来ないようになっている。駅のホームなどでは、この事が、特に重要になってく る。アイメイトが、常に半歩前に出ており、ホーム出、足をふみはずす事がない。
「チェアー」バーベリーは少し歩いて、空席を捜し教えてくれた。「電車などの、乗り物の中では、お客様の方にも充分気をつけて下さい。」バーベリーは、と きどき頭を上げて、車内を見回していた。
「隣の人は、着物ですので注意をしていて下さい。」車内は、思っていたよりすいており、中橋さんは、車内から見える景色を説明してくれた。
あっと!いうまに、目的地に着いた。この駅は、始発駅になっており、落ち着いて訓練が出来るように考えられている。「帰りは、バスで帰ります。」電車をお りて、バーベリーが少し亢奮していたので、ホームの中の歩き方などを何度か練習した。「バスが来ても、指示を出す前に動いたりしたらしかって下さい。」" 初めてバスに乗ったにしては、なかなか上出来!"と、満足した。アイメイト協会前でおり、午前の訓練は終了した。
初めてのコースは、必ず一人ひとり出かけるため、後の者はブラシをかけたり、ペアーヲくんで歩くときには、他の指導員がついてくれ、あの交差点ばかりの、 だらだらと長いコースを歩いた。その日の乗り物の訓練は、一度にいろいろな経験が出来るようになっているが、ふみ切りコースのように、恐怖でいっぱい!と 言うことはない。
夜のミーティングでも、さほど話題にもならなかった。果たして、人並みに卒業出来るのか?長かったような訓練も、終盤に入った。私達は、はやく帰りたい気 持ちと、果たして、順調に卒業出来るだろうか?など、複雑な気持ちになってきた。
乗り物の訓練と併用して、デパートなどでの、買い物や、エレベーター・エスカレーターの訓練もした。
買い物の際には、アイメイトをふせさせ、引き綱をしっかりとふんでおくことが基本になっている。エスカレーターの乗り降りは、階段とは違い、主人が状況に 応じて判断し、タイミンクをつかまなければならないため、最初は、エスカレーターに乗るタイミングがつかめずおろおろした。
何度かくり返しているうちに、最上階まで上がっていた。エレベーターで下りるのかと思えば、「階段を使って、一気に、駆け降りて下さい!」などと言うでは ありませんか。"これは、調子にのりすぎやられたなあ"と思ったが、あとの祭り。私は、膝をガクガクさせながら、やっとの思いで1階まで降りた。
"よくすりゃ損する!"まさに、この事だと思った。
デパートで、バーベリーの、レインコートを注文した。注文したのはいいのだが、あとでねだんを聞いて驚いた。腹巻きに手足を入れるところと、フードがつい ているような物が、何と!「12800円」と言うではありませんか。
"それにしても、ペット用品は高いなあ"と思った。

 
テレビは大きらい!
 

 私達 は、テレビの取材を何度か受けた。
最初は、マイクを突きつけられ緊張したが、訓練中は、マイクがつけられていることなどすっかり忘れており、「ご苦労さまでした。」と言われ、何度か、恥を かいたこともある。取材は、アイメイトを知ってもらうためには、かかせないことだと思い、受け入れていたが、デン!と、マイクを突きつけられてインタ ビューを受けることは、気が向かなかった。
沖縄の彼は、集中的に取材を受けていた。それに対して、彼は、あらゆる事に真剣に答え、テレビ局の人を、圧倒させていた。休日ともなれば、彼の部屋に、何 時間もテレビ局の人がいたこともある。隣の部屋の私は、ときどき聞こえてくる彼の声が、あまりにも熱心なのに、頭が下がる思いがした。数々の勉強をしてい ないと、テレビ局相手に、何時間も話せる者ではない。彼自身の、生き方そのものが、一気に流れ出たような感じがした。私は、このときにも、勉強の土台が、 根本から違うなあ!と尊敬した。
狭い意味で世の中を見るのではなく、すべての事に真正面からとりくんでいた。中途半端な考え方では、テレビ局相手に、何時間も話すことはできない。彼は、 心が繊細なだけに、すべての言葉使いがていねいで解りやすい。その上、気持ちがこめられており、説得力がある。選挙に立候補すれば、当選まちがいないほど の雄弁家。
このクラスは、本当に話が好きな者ばかりで、中橋さんが、関心するのも解るような気がする。
合同訓練も、あとわずか。私は、何を教えてもらったのか?何が、大切なことなのかがあまり解っていないような気がしていた。訓練中は、ただ、与えられたメ ニューをこなすことが精いっぱいで、教えられたことを、思い返す余裕はなかった。訓練中のことをいろいろ思い出してみたが・・・。
ただ、言えることは、協会全体がとてもひきしまっており、きびきびしていた。指導員達は、理事長さんを心から尊敬し、自分の仕事に、自信とほこりをもって いた。

 
私の、通信簿!
 

  私は、二週間が過ぎたころ、「なかなか、難しくて自信がない。」と、理事長さんに言ったことがあった。すると、理事長さんは、中橋さんに、私のレポートを 持ってこさせ、それを見ながら、「山戸さん、だいぶん良くなってきていますよ。信号の判断は、誰よりも性格ですし、状況判断も良くなってきているじゃああ りませんか。決して、悪い成績ではありませんよ。
よくできています。この調子だと、全然心配はいりません。」と言われた。私は、理事長さんの答えに驚いた。なんと、こと細かく、レポートしているではあり ませんか。理事長さんに、報告するのは当たり前だが、それにしても、これほど詳しく・・・。
私は、吉祥寺のテストコースを、夕方歩くことになった。今まで、何度も歩いていたが、くらくなっての歩行は初めての経験。**「どうせ、何も見えないのだ からいつでも同じこと。」と、言われがちだが、そんなに、単純なものではない。視覚障害者の一人歩きは、職人が、自分の仕事にすべてを懸けるように、見え ない者の歩行も、いつも命がけだ。一歩まちがえば、とり返しのつかない大事故につながる。
単に、「どうせ、見えないから、いつ歩いても同じ。」と言うわけにはいかない。あらゆる状況に神経を使い、見えない故に、「いつも真剣勝負」「どうせ、夜 昼いっしょだから、電気料がもったいない・・・。」と言って、伝記をきられたことがある。この事は、単に、視覚障害者の事だけにとどまらない。
「どうせ、聞こえないから・・・どうせ、理解できないんだから・・・・。」と考えてしまうことになる。「聞こえないから、何を言ってもいい。」・「理解で きないんだから、どんなことをしてもいい。」ことにもなる。こんな、ばかげた話はない。くらくなれば、伝記をつけるものだ。確かに、その明かりの下で、何 かを見ることはできないが、気分的に違う。
**私は、自信がないままに出発した。このコースは、以前から、何となくしっくりこない上に、帰りのラッシュにかかり、昼間とは、比べものにならないほど ざわついていた。"これは、まいったなあ。今までとは、ぜんぜんちがうぞ。"
信号のない交差点などは、車の量が多すぎて、正確な位置が解らない。交差点の中では、クラクションが鳴り響き、耳をさくような急ブレーキの音が・・・。ま だ、半分も来ていないというのに、わけが解らなくなってしまっていた。”一体、何本の交差点を通ったのか?今、どこを歩いているのか?’私は、楽しそう に、家路を急ぐ人がうらやましく、今の自分が、情けなくなった。”何で、こんな思いまでして・・・。’と、後悔した。まだまだ、吉祥寺駅は遠い。
"バーベリー、本当に頼んだぞ。"私は、バーベリーのほかには、何も、頼れる者はなかった。何度か通行人に聞き、やっとの思いで駅に着いた。駅の中は、帰 りを急ぐ人であふれ、身動きがとれない。バーベリーは、何とかして人混みをさけようとしていたが、そう簡単なことではなかった。人に押され、自分の方向が つかめず、気が気ではない。広い商店街では、通行人も乱雑に歩き、流れもばらばらで、進行方向が解らなくなってきた。もうこうなれば、自分を信じるしかな い。私は、バーベリーを、左サイドぎりぎりにつかせ、商店街の音楽や、レストランなどのにおいを思い出して、やっとの思いで、商店街を通りぬけた。バーベ リーも疲れたのか?足どりが遅くなっていた。
ワンツー寺を過ぎ、駅前どうりの信号で、大失敗!!。あせっていたのか?疑いもなく、「ストレート!」の指示を出してしまい、とんでもない通りに入ってし まった。この通りは、今までの訓練でも、一度も通ったことがない。"おちつけ・落ちつけ"しばらく、車の流れを聞いて考えた。単純に考えれば解ることも、 なかなか、状況がつかめない。”こんな調子で、帰り着けるかなあ?"どれだけの時間が過ぎたか?ふと!良い考えが浮かんできた。落ち着いて考えてみれば、 大したまちがいではなかったことに気がついた。右の交差点をわたるのを、目の前の交差点をわたっただけで・・・。”なんだ、そう言うことだったの か・・・。"
「バーベリー、よし解ったぞ。」私たちは、何とか、折り返し地点を通過した。
"よし、これからは、難しいコースではない"と、自分に言い聞かせた。コースそのものは難しいことはないが、車のライトが、目の中に飛び込んで来るようで 恐い。私は、ただ、帰り着くことばかりを気にしていた。このコースは、思いがけない経験ばかりで、不安!が先にたっていた。「お帰りなさい。道順のことが 気になり、バーベリーのことを、あまりほめなかったのじゃないのかな?バーベリーが、しょんぼり!していますよ。」まさに、ズボシだった。私は、「いえ、 そんなことはありません。」と言って、その場を切り抜けたが、心の中まで、よみとられていた。
私は、夜のコースは初めてで、車のライトが目の中に飛び込んで来るような気がして、恐怖!で、バーベリーを、ほめる余裕などなかった。ただ、迷わずに、 帰ってくることだけを考えていた。本職とは言え、生徒を見る目は洗練されていた。

 
胸を張ってかっこよく!
 

  私は、この訓練で、最後まで注意されたことに、歩行の際の「姿勢」があった。視覚障害者の歩行は、とかく、うつむきかげんになることが多い。私も、例外で はなかった。と言うより、むしろ、ひどい方だった。私は、今までわずかな視力を頼りに、道路を確かめながら下を向いて歩く癖がついていた。
訓練中も、姿勢のことで、何回も注意を受けた。ひどいときには、「姿勢・顔・腰・もっと手を振る・・・。」などなど、一度に、いくつも注意された。頭の中 では、”胸を張って歩こう’と言うことは解っているが、長年の癖は、そう簡単には直せない。緊張すればするほど体が固くなり、ますます、うつむきかげんに なり、またまた、「姿勢。」の声がとんできた。
協会の基本事項の中に、「胸をはってかっこよくどうどうと!」と言うことも、大切な位置をしめている。
姿勢を、ただして歩くことは、思ったよりも難しい。せっかく、一人歩きができるようになっても、うつむいてしまっては、さまにならない。 
**私は、何年か前に、道路のわきを足先で確かめながら歩いていたら、「こあらい(子育て)の最中に、目がうすうなってむごいことよねー。」と言われたこ とがある。その当時は、私自身も、現実が受け入れられずおちこんでいた。「世の中で、自分は一番不幸だ。」と思ったこともある。失明した当時は、見えなく なった事を、知られるのがはずかしくて、背伸びをしていた。私は、ときどき、「傷害をのりこえ、立派に夢をかなえた。」などと言う、講演を聞くことがある が、うらやましい限りだ。障害者の中に、「傷害は個性で、気にすることではない!。」と言う者も少なくないが、私は、そう思うことができない。
日常の暮らしの中で、「ほんの少しでも見えたらなあ・子供の顔が見たい・・・。」など、いつも、「見えない」ことが気になっている。意識しているわけでは ないが、現実は否定できない。私は、だんだん視力が下がり始めたころには、「少しは、かわいそうに・・・。」と思ってくれるだろうか?と、自分の方から 思ったこともある。現実と向き合えない時期は、どうすればよいのか?解らない。そこには、口では言い表せない悲しみがある。 
自分自身もそうだが、人はよく、「頑張って、前向きな考え方をしましょう!。」と言うが、この事は、現実を受けいれ、向き合うことができたとき、はじめて 解ることだ。傷害を受け、どうしていいのか?解らず、悩んでいるときに、「前向きにがんばれ・がんばれ。」と言うのは、無意味だ。前向きにがんばれるの は、ある程度時間がたち、おちついてからだ。それより、"大きな心で、包んでもらえることが、いちばん気持ちがおちつく。"傷害の大きさにもよるが、私 は、そう思っている。
学校や職場で、障害者を見て、「かわいそうに!と言ってはいけない・思ってもいけない。」などと教えられているようだが、決して、そうは思わない。なぜな ら、突然の事故で、親・子供、あるいは友人が、歩くことができなくなった場合、「かわいそうに・本当にむごい事よ・・・。」と思うのは、人として当たり前 で、善悪をつけたりできるものではない。
確かに、障害者の中にも、「同情はやめてほしい!。」と言う者もいるが、それは、個人の生き方であり、悪いことではない。要するに、「言ってもよい・悪 い。」などと、決めつけることではなく、「かわいそう!」と言う気持ちがあるなら、自分にできることを見つけてほしい。傷害をもっている人を見て、「不自 由そうだな・つらそうだな・・・・・・・。」など、何かを感じなければ、何も始めることはできない。
私は、いぜん、「点字を書くようになっては、自分も終わりだなあ!。」と、本気で思っていた時期があったり、白杖にも抵抗があり、なかなか使えなかった。 それは、ぞくに言う、「前向きな考え方」が、できなかったからだ。私が、その時実感したことは、「考え方一つで、生き方が変わる!!。」と言うことがあ る。今まで、「自分も終わり」だと思っていた点字のことにしても、「点字は、終わりではなく、これから、またはじまるんだ。」・「悪いのは、目だけだ。」 と思えるようになり、いろいろなことが、ずいぶんらくになった。「見えない」と言う、現実は変わらないが、考え方ひとつで、気持ちに大きな差がでてくる。
障害者問題は、とかく「美化」して語られることが少なくないが、きれいごとでは、生きてはいけない。「個性だから、気にするな。」などと言うことは、私に は、できそうにない。と言うより、気になる時の方が多い。 「見えたらなあ」と思うことばかりだ。現実と理想はちがう。人は、それぞれ、考え方や生き方が ちがう。
十束ひとまとめで考えるのではなく、個人・個人を知り、ごく自然に接してほしい。

 
「おめでとう!」
 

 合同訓 練も、あとわずか。シャンプーをすませて、いよいよ銀座へ!!。 
「今日は、午前中にシャンプーをすませ、午後から、銀座へ出る予定です。」と聞かされたが、あいにくの天気に、少しがっかりした。 銀座でも、テストがあ るはずだが、まだ発表はない。
私達は、グランドに出て、ブラシを丁寧にかけ、一人ひとり、シャンプーの仕方を習った。しゃんプーの際のバスタブは、とても工夫されており、立ったまま簡 単にできるようになっている。午前中いっぱいは、4頭のアイメイトのシャンプーに時間をとられ、銀座へは、午後からになった。 「ワンツーと、服従訓練を すませて、玄関で待っていて下さい。」私達は、「トレーナーをきがえて、少し、オシャレをしようか?」などと話していたが、実際のところは、誰も、特別め かし込んだ者はいなかった。
銀座に出掛ける際には、それぞれ、指導員が一人ずつつきそった。 訓練生と、アイメイトが、一斉にくり出すことはなかなか大変で、準備にも、結構時間をと られた。 
さあ、いよいよ、出発進行!!。 吉祥寺駅までは、2代の車で行った。私には、クラスの指導員の中橋さんがついた。理由は簡単。 私が、一番心配だったか らだ。駅の中は、いつものようにざわついていた。数台電車を見送り、やっと、私達は乗り込んだ。少し、世間話をしていたら、あっというまに到着した。電車 からおり、私達は、駅前周辺を、指導員について歩いた。いろいろな説明を聞いたが、テストコースのことが気になり、どこを歩いたのか?ほとんど覚えていな い。
「ここが、銀座通りです。 少し、歩いてみましょう。」私達は、4頭のアイメイトを連ねて、風を切って歩いた。通行人が、足を止めてふり向くのが解る。" バーベリー、お前、どうどうとしてるじゃないか。"
私は、バーベリーの、ゆうゆうとした姿が目に浮かび、とてもほこらしかった。バーベリーは、銀座では、常に先頭をきって歩いた。"バーベリー、テストの時 にも、この調子で頼んだぞ。"
「それでは、銀座コースの発表をします。」一度も歩いたことのないコースを、一回の説明で、目的地に着かなければならない。私は、説明を聞きながら、ハー ネスを握る手に力がはいった。「みなさん、解りましたか? 20分間隔で出発します。」 コースそのものはむずかしくはないが、交差点の幅と交通量が心 配。「それでは出発して下さい。バーベリーもどうどうとしていますから、コースをまちがわなければ大丈夫です。まちがえたときには、帰ってきてやり直せば いいんですから・・・・。普段どうり、胸を張って歩いて下さい。ゴール地点で待っています。」 "よし、一発で合格してやる!!。"
「バーベリー、GO。」 銀座の歩道は、思っていたよりずっと広いが、交差点の段差も解りやすいし、信号も人についてわたれば大丈夫。
"バーベリー、次の交差点が難問だ。 お前に、すべてを任したぞ。"この交差点は、折り返し地点になっており、一番長い横断歩道がついている。交差点の幅 は解らないが、片側6車線はありそうだ。その距離の2倍の横断歩道をわたるのかと思えば、やっぱり恐い。私は、様子をみようと止まっていたら、初老の女性 が声をかけてきた。 「この交差点は、とても広いから、あなた一人では危険です。
私が、いっしょにわたってあげましょう。」 まさに、わたりに船だったが、そんなに、世の中あまくはない。 「ありがとうございます。 今は、試験中です から・・・。」 「まあ、よりによってこんな危険なところで・・・。 」と、あきれていた。 "バーベリー、大丈夫か?次の信号でかけ抜けるからな" 目 の前を、ボリューム全開の宣伝カーは、ひっきりなしに通り、スポーツカーの若者が、指笛を鳴らし、私達をからかって通り過ぎる。 "ここまで来て、からか われてたまるもんか。よし、わたってやる。" 私は、ハーネスをにぎりなおし、「ストレート。」と、命令した。「バーベリー、よしよし。その調子・その調 子。
急げ、ほらほら、もうちょっと・もうちょっと!!。」バーベリーは、どうどうと、迷うことなく一気にわたり終えた。その時、"これからは、いつでも、彼女 がそばにいるんだなあ"と、感動した。 私は、卒業の事を想像しながら、ゴールめざして歩き続けた。何カ所か信号をわたったのだが、いっこうに、ゴールが 解らない。 "おかしいなあ?もうそろそろだけど・・・。"そのまま、しばらく歩いていたら、目の前を、一台の車が通り過ぎた。私達は、気がつかないうち に、地下道の入り口まで来ていた。”あわてることはない。 来た道引き返せばすむことだ。 "おちついて考えれば解ることだが、思った以上に緊張していた のか?人の数がめっきり減っていることに気がつかなかった。「バック。」で、私達はひき返した。知らず・しらずのうちに、何百メートルも通り過ぎていた が、不思議と、緊張感はとれていた。
「おめでとうございます!!。」と、みんなの歓迎を受けたが、 本で読んでいたような感動はなかった。 どんな気持ちだったのか? 今でも解らない。「山 戸さん、立派でしたよ。 バーベリーも、ほこらしげに誘導していました。」と、中橋さんは満足していた。 私は、その時、"これで、少し恩返しができたな あ。"と思った。 銀座に出るまでは、本当に「優秀な生徒ではなかった。」と思っていたが、このコースで、卒業できることを実感した。テストは、クラス全 員が合格し、私達は、卒業試験のあとには、必ず入ると言う、インド料理店で食事をした。 インド人のマスターも慣れたもので、楽しいひとときを過ごした。 アルコールも少し入り、ウイ巣きーゃ紅茶などみあげを買い、ほんわか気分で帰ってきた。
さあ、明日は、いよいよ卒業式?。

 
新たな旅立ち!
 

  バーベリーとの、訓練も終わりに近づいた。彼女は、いつもたんたんとしていたが、重い砂ぶくろのように、そう簡単には動いてくれなかった。考えてみれば、 無理のないことだ。 アイメイトになる犬は、短期間に主人が何度も変わる。繁殖奉仕者・飼育奉仕者・訓練士・そして、一生をともに暮らすパートナーの視覚 障害者が主人となる。 私で、4人めだ。 
訓練が進むにつれ、きびしさのあまり、"えらい所に来たなあ・こんなに苦労をしてまで・・・。"などと、いやなことばかりを考え、訓練に集中できないこと もあった。この年になるまで、団体生活の経験はなく、「いつも、見られている!」ような気がして・・・。すべてのことに緊張し、いらいらのしどうしだっ た。自由時間の会話は、それなりに、とても楽しかったが、自分の「無力!」を、思い知ったのも確かだ。彼女たちは、高等な教育・すべての訓練を長い間受け ており、確かな自信をもっていた。それに比べて、私は、視覚障害者に関する訓練は、何ひとつ受けていない。白杖一本で歩いたこともほとんどないし、点字の 訓練・その他、自立のための生活訓練など、すべてが「自己流」だ。田舎では、感じたことのない「緊張とプレッシャーの固まり!」だった。
この時、初めて、人は「自分の立場にあった教育が必要」だと、つくずく思った。能力にあった教育は、やっぱり大事だ。 すべての教育・訓練を受けている彼 女たちは、どこか輝きがちがっていた。 障害者が自立して生きていくためには、それなりの努力をしなければならない。緊張の連続で、楽しむ余裕などなかっ たが、彼女たちに出合えたことは、これからの、私の「大きなちから!」になってくれるはずだ。
銀座コースのテストも終わり、今日はどんなことをするのか?と思っていたら、「みなさん、ワンツーと服従訓練をすませて、部屋でまっていてください。」私 達は、「今日も、訓練があるのかなあ?」などと、がっかりした。銀座コースが「卒業試験」と聞いていたが、まだ何かがありそうだ。私は、いろいろなことを 想像しながら休んでいたら、 「みなさん、今日は、車であるところへ出かけます。車を出しますので、玄関でまっていてください。」 訓練期間は、まだ2日 残っていた。"もしかして、またテストでも・・・・・。"
車は、10分ほど走り、大きな建物の横につけられた。今日は、あいにくの雨になっており、私達は、合羽を着て外に出た。
「ここは、とある地点です。 進行方向は、左に大通りがあります。 いくつも通りがありますので、よく音を聞いてください。進行方向の右が北になります。 西方向の交差点を4カ所わたり、次の交差点をみなみに折れ、突き当たりを東に向かい、7本めと8本めの交差点のあいだに歩道橋があります。その橋をわたっ て、西に進めばゴールです。」"今までにない説明だなあ" これまでに、方角を言われたことはない。「みなさん、ある意味では、これが本当の卒業試験にな ります。このような説明が理解できれば、これから先、人に道を尋ねるときにも、一度聞いただけで地図が解るようになります。」"なるほどなあ"「雨足が強 くなりそうです。みなさん、次つぎ出発してください。 」頼りになることは、大通りと歩道橋だ。「それでは、山とさんスタートしてください。」 "バーベ リー、最後の訓練だ、 しっかり頼んだぞ。"
私は、まず、自分の向いている1を確認した。 "バーベリー、進む方向が解ったぞ。"地図を頭の中で確認し、西に向かって歩き出した。 "ここは、それ程 複雑なコースではないな"私達は、迷うことなく歩いたが、雨がますますひどくなってきた。"バーベリー、大丈夫か? 寒くなってきたなあ"ひしめき合う車 の水しぶきが、横殴りの雨に混じって、手や顔に矢のように刺さる。私達は、東に向かって歩き続けていたが、ぬけるような雨で進むことが一苦労になってき た。私は、雨宿りをしようと、人の声のする方にバーベリーを進めた。そこは、小さなひさしのようなものがあり、大勢の人でごった替えしていた。
帽子についた雨が、背中の中へ入ってくる。バーベリーも、搾るようになっていた。通り雨だったのか? 2・3分ほどで、急に小振りになった。 私は、少し頭を上げてそらを確かめていたら、上の方がやけにうるさい。"あれ、もしかして・・・・・。 まさか? "そう、うれしいことに、私達が雨宿りしていたところは、歩道橋の下だった。"バーベリー、もうけた・もうけたぞ" 私達は、知らず・しらずのうちに、歩 道橋まで来ていた。バーベリーに、橋の上がり口をさがさせ、るんるん気分でわたっていたら、濡れていた階段で足をとられ、尻餅をつき、そのまま下の端まで すべり落ちた。私は、はずかしさと痛さで・・・・。バーベリーは、突然のアクシデントにとまどっていた。私は、泣き笑いをしながら歩いた。
"ゴールまでは、どのくらいあるんだろうか?" とにかく、西に進むしかない。左手に大通りがあるのを確かめ、泥濘に足をとられないように気をつけた。そ して、ひたすらゴールめざして歩き続けた。"バーベリー、もう少しのしんぼうだから菜。 ゴールしたら、真っ先にお前をふいてやるからな"数分歩いたとこ ろで、「お帰りなさい!」の声が聞こえ、すべての歩行訓練は終わった。さて、いよいよ卒業か?私達は、協会に帰り、アイメイトに食事をさせ、自分たちも着 替えをし、合格発表を今か・いまかと、耳を澄ませてまった。自分では、合格できることを確信していたが、果たして!、理事長さんの目には、どう写っている のか? 合格証書を手にするまでは、まだまだ、ゆだんは禁物。
"それにしても、何かをまつのは長いものだなあ" 帰ってきてから、もう、何時間も過ぎたような気がする。 "もしかして、もめているのでは・・・・。" 「山戸さん、理事長がおよびです。 食堂の方へおりてください。」 "運命を、天に任すしかない"私は、なに食わぬ顔をして、食堂のドアーをたたいた。 「このイスに座ってください。」私は、うつむいたまま判決をまった。しばらくして、理事長さんが、「山戸さん、合格です。おめでとう!若い人に混じって、 よく頑張りましたね。 関心しました。」 「ありがとうございます。」「はじめは、年の差を心配していました。 ハードスケジュールをよくこなしました ね。なんのトラブルもなく、順調なクラスで、職員一同ほっと!しています。 宿毛では、初めてのアイメイトです。基本を守り、社会の中で活躍してくださ い。」 私は、何も言えなくなり、熱いものがこみ上げてきた。 他の指導員も、声をかけてくれ、”あー、これで、すべてが終わったんだなあ’と思った。理 事長さんをはじめ、指導員達は、「視覚障害者として、何も訓練を受けていない田舎のおばさんが、若い者についていけるだろうか?」と、心配していたにちが いない。自分自身も、そう思っていた。私達のクラスは、トラブル事もなく、全員が合格した。「みなさん、訓練機関は、まだ残っていますが、1日でも早く帰 りたいのではないかと思い、この後、卒業式をします。時間になるまで、指導員の指示で、いろいろな準備をしてください。」 合格が決まれば、山のような仕 事がある。まずは、ドックフードの注文。 その他にも、ハーネスに反射ラベルを張ったり、登録ナンバーの取り付け・それに、何かと手続きも複雑だ。ここま でくれば、忙しさも、何となく楽しい。 私達は、夢中になり、すべての手続きを終了した。
「ただいまから、卒業式を行います。みなさん、席に着いてください。」私達は、正式に「アイメイト」になったパートナーとともに、席についた。「みなさ ん、おめでとうございます。 一人のリタイアもなく、スムーズに訓練を終了することができました。 クラスで学んだことを忘れず、社会の中で頑張ってくだ さい。」理事長さんの祝辞の後、クラスメイト一人ひとりが、4週間の合宿生活の感想と、これからの希望を述べた。私は、「後悔したこと・緊張の連続だった こと」など、正直に話した。そして、最後に「やればできる!」と、確信したことをつけ加えた。 
「バーベリー、本当にありがとう。 今日、このひがあるのは、すべてお前のおかげだ。田舎に帰っても、よろしく頼むからな。」 私達は、最後の夜をむかえ た。 目が覚めると、昨日の雨がうそのようだ。 
ぬけるような青い空。私とバーベリーの、「新たな旅立ち!!」  1998年5月10日

 
チャンピーがいたら40歳!  (アイメイト協会・40年のあゆみ)
 

 アイメ イトは、私の目・愛すべきパートナー。
嘘のない正直な気持ちで、私を見ていても私には見えないが彼女と出会って、私の世界は広がった。
いつも、彼女は私を守ってくれる。彼女は、私の目・そして、私の命そのもの。
日本で最初の盲導犬が、1957年8月に、現・アイメイト協会理事長「塩谷憲一」の手によって誕生した。それ以来、視覚障害者の歩行問題の解決手段とし て、数多くのアイメイトを送り出し、「わが国随いつの歴史と実績」をもっている。 
アイメイトとは、「私のI(アイ)」・「目のEYE(アイ)」・「Loveの愛(アイ)」を総括した名称で、使用す る視覚障害者と、アイメイトの信頼関係・アイメイト協会で訓練を受けた高度な作業などを集約して、盲導犬とは言わず「アイメイト!」とよんでいる。 他の 団体では「貸与」となっている盲導犬だが、アイメイトの所有権は「使用者本人」にある。この事は、アイメイトは使用者の「目」であり、「目を貸すことは、 ありえない」と言う理念からきている。
アイメイト協会での、視覚障害者の歩行訓練は、使用者が卒業後、どこでも歩くことができるように、4週間で120KMを歩いて拾得するようになっている。 そして、卒業時には、視覚障害者がアイメイトと単独で帰宅する。「卒業!」すなわち、「社会参加」となる。また、アイメイトは、主人の落とし物を拾った り・ドアノブ・信号の押しボタン・自動改札の切符挿入口など、主人に教えるように訓練されている。財団法人「アイメイト協会」は、自治体からの委託費・お よび、一般からの寄付・基金の収益金で運営されている「非・営利団体」。主な事業内容は、犬だけの問題ではなく、視覚障害者の社会復帰と、適応のための自 主歩行を成功させると言う観点から、視覚障害者の歩行指導・日常生活指導・歩行指導員の養成・アイメイトの繁殖と育成・そして、一般の人を対象に、毎月最 終土曜日に「アイメイトセミナー」 を開催し、アイメイトの役割・視覚障害者の自立についての社会啓蒙活動などもおこなっている。

** ア イメイトの生い立ち
「繁殖を受け持つ奉仕家庭」では、あずかった犬が出産し、離乳する生後2カ月までのめんどうをみる。
その後、「飼育奉仕者の家庭」で、1年間にわたり、充分な愛情が注がれ、将来アイメイトとして活躍できる情緒の安定した犬に育てられる。生後1年2カ月で 協会にもどった犬は、アイメイトになるためにさまざまな教育を受ける。そして、訓練を終了した犬は、視覚障害者との4週間の合宿生活にはいる。
ここでは、入校式を経て、歩行指導・日常生活指導が毎日続けられる。入校生の中には、そのきびしさのために途中でリタイアし卒業できない者もいる。合宿生 活では、1週間ごとにコース別のテストがあり、4週間目の最後の難関は、東京銀座での「卒業試験」。これに合格して、はじめてアイメイトを自分の目にする ことができる。

「一 人と一頭の、新たな旅立ち!!」 ** 
{アイメイト協会・40年の歴史}
1948年(昭和23年)、現・アイメイト協会理事長が、盲導犬の育成を志し、目隠しの生活を体験しながら、その生育法に試行錯誤が始まる。
1957年(昭和32年)、「チャンピー」の訓練が完了し、8月には、盲学校で教職についていた「川井 清(かわい きよし)さん」の歩行指導を完了し、 ここに、「国産第一号の盲導犬・チャンピー!」が誕生した。 
1969年(昭和44年)、このとし、塩谷憲一の努力が認められ、東京都の盲導犬委託事業が始まった。
1971年(昭和46年) 10月10日、塩谷個人の土地を基本財産として寄付し、財団法人「東京盲導犬協会」の設立認可を受ける。
1972年(昭和47年) 10月10日、社会的な啓蒙活動として、第1廻「アイメイトデー」を実施。
移項、この催し物は毎年続けられている。 また、この年から特許庁にも届けていた 「アイメイト」のこしょうを、社会啓蒙の大きな柱として使用を始めた。  
1977年(昭和52年) 4月26日、当時、参議院議員の原谷氏が国会において、盲導犬に対して質問し、史上はじめて視覚障害者が国会の議事を傍聴した。
この国会質問を期に、「国鉄の自由乗車」が実現した。
1978年(昭和53年) 12月1日、道路交通法の改正により、目のみえない者は、「白杖・または、盲導犬を伴って歩くこと」と成文化され、盲導犬がはじめて、法律的に認められ た。
1985年(昭和60年)、アメリカの「ザ・シイーングアイ」から、訓練部長を招いて、「第一廻・盲導犬歩行訓練国際交流セミナー」を開催。
1989年(平成元年) 4月1日、かねてからの念願がかない、財団法人東京盲導犬協会は、財団法人「アイメイト協会」へと名称変更が認められた。
1990年(平成2年)、「国際盲導犬学校連盟」に加入し、「正会員」となり、国際的にも、すぐれた活動が認められた。
また、このとしには、アイメイト使用者が「500人」をこえた。
1992年(平成4年) 10月、「ザ・シイーングアイ」から、事業部長をまねいて、「第2廻・盲導犬歩行訓練国際交流セミナー」を開催。
1996年(平成8年) 10月、新しい訓練施設「アイメイト協会・視覚障害者歩行訓練センター」が完成した。
1997年10月までの、 アイメイト使用者の累計は「722人」におよび、全国各地で活躍している。
<アイメイト誕生40周年・記念ビデオより> ちなみに、バーベリーは「679号」。
アイメイト使用者が多くなれば、それだけリタイア(引退)犬も増え、わが国では、まだまだ、「アイメイトが足りない!!」

 
広い所は大嫌い!
 

  収穫の終わった田圃には赤トンボが羽を休め、気のはやいコスモスが季節の変わり目を教えてくれる。バーベリーとの暮らしも、はやくも数カ月が過ぎた。盲導 犬歩行のむずかしさは変わらないが、気分的にはずいぶんなれた。盲導犬を使用して一番うれしく思うことは、自分が好きな時間に外出ができること。今までは 人に頼るしかなく、気を使うことも多かったが、今では、近くの用事はほとんど自分ですますことができる。これは、本当にうれしいことだ。 わずか数カ月前 には、想像もできなかった。大好きなビールも人の都合を心配しないで買うことができるし、毎日の買い物も楽になった。
その上、いろいろな支払い・婦人部の会・地区の集まり・その他にも、郵便局に行ったり・地域での生活に彼女が大活躍。今まで、人の都合ばかりを気にし、頼 みたいことの半分もお願いできなかったことを思えば、今は「夢のよう!」だ。正眼者にとっては小さなことだが、私にすれば、地域の中だけでも自由に動ける ことがやっぱりうれしい。
「バーベリーのおかげ」だと感謝している。その上、地区の人もみんなで協力してくれ「心丈夫!」だ。 最近では、彼女も家族の一員として生活に参加してい るが、田舎の道は難しく、いまだに迷うことも多く、目的地に着くことが一苦労。盲導犬のコントロールは本当に難しく、「ペットとは違う!」と言うことは 解っているが、ついついあまやかしてしまう。バーベリーも、その味をしめておりきげんをとるようになった。仕事中でも散歩気分になり、好きな所を歩くよう になってきた。コントロールがあまくなったのか? 言うことを聞いてくれない。まるで、「我が大将!」と思っているようだ。これでは、安全な歩行はできな い。「家の中にいるときだけでも・・・・。」と、自由にさせていたことで、わがままが出てきた。親しくなればなったで、細かいことはついつい許してしま い、きびしさがゆるんできた。
もうこうなっては、協会に相談するしかない。私は、バーベリーの状態を正直に話した。すると、「コントロールがあまくなり、わがままほうだいになっていま すね。 ・・・・・・ 山戸さんの力では無理です。 協会の方から、訓練士が出向きます」と言う答えが帰ってきた。"東京から、来てもらうのは気が引ける なあ"と思ったが、再訓練を頼むしかない。まちがいがあってからではどうしようもない。 "なかなか、上手いこといかないものだなあ" 少しずつ分かり合えたと思えば、わがままが出てしまうし・・・。
理事長さんが言っていたように、1年くらいたたないとスムーズに歩けそうにない。三原村でも盲動犬が活躍しているが、やはり、1年くらいは思うようにいか なかったようだ。知らないところで、見えないものとの歩行は、バーベリーにとっても大仕事だ。田舎では、野良犬や放し飼いの犬・道ばたには犬や猫の糞な ど、誘惑も多い。その上、バーベリーは広いところが苦手で、学校の校庭に迷い込んでいったときには本当に困った。 その日は、いつものコースとはちがうと ころを通り、国道沿いのスーパーまでいく途中、車道の橋には畑のようなものがあり、舗装をしていない歩道かと思い、少しずつ・すこしずつ左に入ってしま い、気がついた時には、車はずっと右側を走っていた。「バーベリー、ここは歩道とはちがうみたいだ。」私達は、歩きながら少しずつ車道に近づいたが、急に 道が下りはじめ、狭い路地に入ってしまった。
"おかしいなあ、また車道から離れてしまったようだ"しばらく、ようすを見ていたが、やっぱりどこかちがう。 "まあ、いいか? 行けるとこまで行こう  " 私達は、知らない道をゆっくり・ゆっくり確かめながら進んだ。 5・6分歩いたと思えば、大きな広場のような所に出た。そこは、足元も悪いし、ひざま での草があちこちにはえていた。「バーベリー、変な所に来たなあ。出口が解らないぞ。」私は、何度もコーナーの指示を出したが、その辺を回るだけでなかな か見つからない。
ぐるぐる同じ所を回ってしまい、自分がどっちを向いているのか解らなくなってしまった。引き返すにも、来た道さえ解らない。私達は、あてもなく足元を確か めながら進んだ。 バーベリーは、くたびれたのか? そのまま座りこんだ。"まいったなあ" 近くに人の気配はない。 私も、バーベリーと並んで座った。  10分くらいたっただろうか?突然時間を告げるチャイムが鳴り、子供立ちの元気な声が聞こえてきた。
「バーベリー、ここは小学校の校庭の端の方らしいぞ。 声のする方に行くからな。」バーベリーは、急に立ち上がりしっぽを忙しくふりはじめた。すると、大 勢の子供達がかけてきた。バーベリーは、ちぎれるほどしっぽをふった。彼女なりの歓迎だ。「あっ! 盲導犬だ。 はよう・はよう、盲導犬がきちょるけ ん。」4年生くらいの女の子が、手を回しながら友達を呼び寄せた。あっという間に、山のように子供達が集まってきた。「おばちゃん、この犬バーベリーや ろ?ぼく、見たことあるけん知っちょるもん。」男の子は、自慢げに言った。「おばちゃん達は、ナゴまで行きたいがやけんど、道路に出る階段はどこかね え。」「校門は、あっち。」と、男の子は指をさして教えてくれた。「あっち言うても、おばちゃんは目が見えんけんわからんがよ。 右の方かい?」「そした ら、つれっちゃるけん。」子供達は、バーベリーに声をかけながら得意そうに歩いた。
「バーベリー、こっち・こっち・・・・。」 バーベリーも、喜んでついていった。「バーベリー、ここが階段ぞ。 おかあちゃんに上手に教えてやれよ。」・ 「バーベリーすごい。階段で止まったぞ。」・「この犬、人の言葉が解るが?」・「かわいい・かわいい・・・」などなど、いろいろな興味を示した。 「どう もありがとう。 ここからまっすぐ行ったらええがやねえ?」「バーベリー、道まちがえるなよ。 また、学校にも来てくれよな。」・「バーベリー、バイバ イ!」 
彼女も、子供達が気になるのか? 何度も後ろをふりむいた。 私は、彼女が、子供達に自然に受け入れられたことがうれしかった。それは、たぶん、学校や家 庭で"バーベリーの話をしてくれていたにちがいない"と思った。

 
鶴の一声!
 

  今日は、再訓練の日だ。 私は、バーベリーの排泄とブラッシングをすませ、外に出て指導員を待った。「わざわざ、遠くまで出向いていただき申しわけありま せん。」「山戸さん、首輪のかけ方がちがいますよ。」「エッ、首がしまると思って・・・・。」「チョークをした際、瞬間的に首が締まるようにしているんで す」と、あいさつがわりに、はやくも注意された。私は、自分のおろかさがおかしかった。
「この首輪のかけ方だから、コントロールができなくなったんでしょうか?」 指導員は、バーベリーを見回し「それだけではありませんね。 ちょっと見た感 じでは、ご主人も犬には慣れているようで・・・。」指導員は言葉を濁していたが、ようするに「どっちが主人なのか解らない」と言いたかったのだ。「それに しても、えれえ田舎だなあ。山戸さん、しっかりしないとこの辺は難しいですよ。ここに来る途中、汽車から外を見ていたら、ますます山の中に入り、終着駅に ホテルガ本当にあるのかと心配していました。ところが、中村駅に着いてみると、結構にぎやかだったので安心しました。
それにしても、遠いですねえ。」指導員は、田舎が珍しかったのか? 見回しているようだった。 
「ここは、高知県と言っても一番西で、隣の愛媛県までは10キロくらいです。」「山戸さんを見ているときには、こんなに田舎にすんでいるとは思いませんで した。」「合同訓練の時には、若い子について行くのが精いっぱいでした。 その後、みなさんはどうですか?」 私は、同期生の状態は知っていたが一応聞い た。 「すると、指導員は「頑張って活躍していますよ」と言った。それ以外に、答えようがない。 
「それでは、まず、状態を見せてもらいます。どこでもかまいませんから、いつものように歩いてみてください。」私達は、いつもの散歩コースを歩いた。再訓 練には、隣保館の職員の「野口さん」と家族のものが参加してくれた。野口さん達は、その場で待っていたところ、指導員が手招きし、バーベリーの後を大の大 人がぞろぞろついて歩いた。すれちがう人にとっては、何となく異様な光景だ。 この時は、2・3キロメートルくらい歩いた。「一応、注意して見てみました が、やっぱり、わがままがだいぶん出ています。それと、もう少しゆっくり歩いてはどうですか?景色も楽しんでくださいよ。」今まで、景色を楽しむことなど 考えもつかなかった。ただ、目的地に着くことが精いっぱいで・・・。 私は、"そうか、景色をねえ・・・"と、心の中でつぶやいた。 
「それでは、ちょっとバーベリーを借ります。」と言って、指導員はおくの道の方へ歩いて行った。
私達は、心配のあまり聞き耳を立てた。 すると、バーベリーの「キャン・キャン!」と言う泣き声が聞こえてきた。「えらいたたかれよるがぜねえ。」・「む ごいことよ。」・「あんな泣き声は、はじめて聞いた。」・「何か、むちのようなものでしばかれよるがじゃないかい?」などと話しながらまった。
その時、私は"かわいそうだが、他に方法はないんだ"と、自分に言い聞かせた。バーベリー達は、40分くらいで帰ってきた。「これで良くなると思います。  もし、またわがままが出たときにはきつく叱ってください。かわいそうなと思い、叱るのをおこたれば同じことのくり返しになります。何度もだらだらと叱る のは、アイメイトにとってもかわいそうなことです。 指示は、一度で従わせるようにしてください。 2回目は、チョークです。」バーベリーは、何となく、 からだがこわばっていた。その後、服従訓練を何度かしたが、昨日までとは見違えるほどきちんとしていた。「すごい、背筋までぴーんと伸ばしちょうぜ」と、 野口さんは驚いていた。私も、"さすが、鶴の一声はちがうなあ"と、尊敬した。 "バーベリー、やればできるじゃないか" 「午前中の訓練はこれまでにし ましょう。この辺に、どこか食事をするところがありますか?」・「国道に出たところにあります。」 私達は、昼食をとるために車で出かけた。「何度も言い ますが、山戸さん、しっかりしないとこの辺の道は難しいですよ。」 私は、今になって"東京の方が、ずっと歩きやすいなあ"と思った。
「隣の芝生は青かった!」と言う例えがあるが、本当にそのとうりだなあと実感した。バーベリーは、車内でも身動きひとつせず、水をうったように静かだっ た。私達は、バーベリーと一緒に、ネスト覧に入った。食事中も、テーブルのしたできちんとふせていた。 食事も終わり、家に帰ってきたときは2時を過ぎて いた。 「それでは、もう一度服従訓練をしてみてください。」私達は、家の回りを歩いたり、いろいろな指示を出して従わせた。本当に、バーベリーは、見違 えるほどきちんとしていた。 「大丈夫みたいですね。 この状態がいつまでも続くものではありません。これからは、主人のコントロールひとつです。だらだ らと叱るのではなく、一度で従わせてください。歩く距離のことは気にしないで、基本を守り頑張ってください。」「ありがとうございました。 」・「4時の 切符を買っていますので、これで失礼します。また、なにかあれば協会の方へ連絡してください。」 「本当に、わざわざ出向いていただきありがとうございま した。協会のみなさんにも、よろしくお伝えください。」 
指導員が帰った後、隣保館の野口さんと、「専門家はちがうねえ・背筋までぴいーんと伸ばしちょったぜ・けど、あの叱り方はかわいそうやったねえ・・・」な どと、感想を話した。 しばらくすると、駅まで送っていた家族のものが帰ってきて、「なし、あれほど遠くまで歩くがぞ。」と言った。最近は運動不足で、久 しぶりに長い距離を歩かされ、足腰にこたえているようだ。 私は、この頃では、1時間程度の歩行は大したことではなかった。毎日歩いているせいで、自然に 鍛えられていた。 
"よし、明日からは初心に帰り再スタートだ。"と、自分に気合いをかけた。

 
私達は、不法侵入者!
 

  「バーベリー、今日は体障害者の日の集いに行くからな。」毎年、12月の人権週間には、宿毛市身体障害者の日の集いが行われている。 昨年までは隣保館の 職員と二人で参加していたが、今年からは彼女も参加した。「バーベリー、今日は福祉センターだ。会場ではしずかに頼むからな。」 私達は、公用車で出かけた。彼女は、車内が狭いのか?落ち着かない様子で、頭を上げてため息ばかりついていた。
会場は、いろいろな施設や学校・成人の身体障害者もたくさん来ていた。 私達は、中央より少し後ろに席をとるようにした。「バーベリー、チェアー・チェアー」 彼女は、はじめての会場のせいか、首を伸ばして場内の空気のにおい をかいだり、立ち止まって回りを見回していた。「チェアー」 バーベリーは、空席が少ないのにも関わらず上手に狭い通路を誘導してくれた。 私は以前、空席のことでは人の膝の上に座ったことがあるため、大きく手を左右に動かして空席を確認した。  身体障害者の日の集いは、市長の挨拶のあと、芸能大会・講演会やコンサートと続く。彼女は、足元で退屈そうに自分の足をなめたり、驚いた用に急に立ち上が り真剣に舞台を見つめていた。第一部も無事に終わり、コンサートも華僑に入り、いよいよクライマックス!!。最後の曲が終わり拍手喝采。 「どうもありが とう。」 出演者の挨拶が聞こえてくると、会場内は水を打ったように静かだ。
ところが、我が娘のバーベリーときたら、何が起ころうと関係ないと言う態度で、大きな鼾をかいていた。まるで、酒に酔ったおやじのようだ。 場内は、彼女 の大きな鼾にくすくす笑い!。「今日は、動物も見に来てくれているようです。最後に、長渕つよしの乾杯をみなさんと一緒に・・・。」 私は、彼女の大鼾に 冷や汗もの。  コンサートも終わり、会場内がざわついてきた。 「バーベリーお前、大きな鼾をかいていたなあ。おかげで、こっちは冷や汗をかいたぞ。よし、帰るとする か。」彼女は、まだ眠そうに歩き出した。出口近くの階段には、大勢の人が押しかけ身動きができない。
彼女は、どうにか人混みをさけようとしていたが、なかなか進むことが一苦労だ。「バーベリー・no」 ハーネスの動きが止まったかと思えば、前の人のお尻 を鼻先で押していた。「どうもすみません。バーベリー、ダメじゃないか。」・「no」数回同じことをくり返し、やっと外に出た。彼女も疲れたのか?前足を おもいっきり伸ばし、「ウーーン!」と、体を後ろに引っ張るような背伸びをした。そばで見ていた人が、「バーベリーも、だれとう(疲れた)ねえ」と笑っ た。「さあ、どうしょうか?」と隣保館の人が聞いた。「帰りは、バスで帰ろうか。」・「大丈夫廻?」・「前にも帰ったことがあるし、訓練にもなる事だ し・・・。」
私達は、バスセンターからバスに乗った。車内は、昼間のせいなのか?乗客は数人だった。「バーベリー、バスに乗る人も少なくなったもんだなあ。」 山田ま では誰も降りる人はなく、あっと言う間に山だ橋に着いた。私は、運転手に路地の入り口の場所を聞いて降りた。ここの入り口は、以前何回も迷って、宿毛署の 刑事に道案内をしてもらったことがある苦手な場所だ。  「バーベリー、ここからは真っ直ぐだ。 急いで帰ろうぜ。」彼女は、ちら理!と後ろを振り向き早足で歩き出した。バス停から我が家までは、約一キロメート ルだ。私達は、冬の風を感じながら家路を急いだ。 「バーベリー、やっばり歩くと遠いなあ。」 家に着くまでには、数カ所の四つ角を通らなければならな い。二つ目の橋のそばの角で、バーベリーが立ち止まっては、私の顔をくり返し見た。私は、いつもの調子で指示を出したが、左右に動くだけでいっこうに進ん でくれない。何回指示しても、前には進まない。"おかしいなあ、ここは登りの四つ角の当たりだと思うんだが・・。" 私は、もう一度「go」と命令した。するとバーベリーは、何を思ったのか?左サイドの堤防の斜面を上がり始めた。「バーベリー、no」 彼女は、聞く耳を 持たずぐいぐい引っ張った。私の方が力負けし、坂を登りきり広場に出た。"あれ、ちょっとようすが違うぞ"彼女は、私の顔を見て次の指示を待っていた。" おかしいなあ、風の感じが違うぞ"私は、自分がどっちを向いているのか解らなくなっていた。 "とにかく、端に寄ろう"「バーベリー、寄って・寄って」膝までの草がはえている道に出た。私は、足先で道路を探りながら進めたが、いっこうに位置がつか めない。"もう、角は過ぎているのだろうか? 角らしき者はなさそうだけど・・・。" 私達は、しばらくようすを見ることにして、誰かが通ることを祈りながら待った。いつものことで、待つときに限り何もこないものだ。 「よし、とにかく行こ う。バーベリー、go」 私達が歩き始めると同時に、壁のような者から油のにおいがしてきた。彼女は、その周りを半周して道路に出た。少しずつそばに寄っ て確かめてみると、そこには大きな工事用のトラックが道全体をふさぎ、 周りが掘り起こされていた。「バーベリー、どうも工事中らしいなあ。」後になって 解ったことだが、そこは、橋のかけ替えのため通行止めになっていた。私達は、不法侵入者だった。 待てどくらせど、誰も通らないわけだ。「さあ、帰るとす るか」私達は、疑いもなく真っ直ぐ歩いた。百メートルくらい歩いても、いっこうにいぬの泣き声がしない。"もうそろそろ、犬が吠えるんだがなあ。今日はお となしいぞ。 おかしいなあ。 "「バーベリー、今日は、犬がおらんようだ。助かったなあ。 」 "それにしても、何となくようすが違うぞ。 "  「バーベリー、どうも通りをまちがえたようだ。 」まあ、行けるところまで行こう。私達は、わけが解らなくなり、ただ前へ・前へと歩いた。少し歩くと、 通ったことのない路地に入った。周りには民家のような物が立っていた。立ち止まって状態を確かめると、遠くの方からは大工仕事の音が聞こえ、そばでは、鳥 の泣き声がした。「バーベリー、どうもここは小島のようだ。人の声のする方に行くからな。 」 "ここは、狭い道だなあ。 車がすれ違えるんだろうか?  " 彼女は、何度も路地の入り口で止まったが、前の方へと指示した。 とにかく、誰かに道を聞かなければならない。まずは、人に会うことだ。 "それにし ても、家は建っているようだが、人の気配はないなあ。" 私達は、奥の方へ入ってしまった。 「バーベリー、もう一度引き返そうか?」あきらめて帰ろうと していたら、どこからか? 水を使う音が聞こえてきた。 「バーベリー、やっと人がおったぞ。」 私達は、耳を澄ませながら水の音がする方に行った。そこ は、少し木陰になっており、家の中で誰かが水仕事をしていた。 「すみません。」 返事はなかった。私は、できるだけ窓に近づき大声で、「すみません、 ちょっと道を教えてください。 」 声が届いたのか?家の人は水仕事をやめ、エプロンで手を拭きながら出てきて、「なんじゃろか?」と言った。
私は、一度も会ったことはなかったが、この時"この人は、留子さんでは・・・・。 "と思った。 「忙しい時にすみません。 手代岡まで帰りたいがです が、ここはどこでしょうか?」・「ここは小島じゃけんど、あんた手代岡は全然へち(逆方向)ぜ。 」・「ここからも、帰れるがじゃないろうか?」・「帰れ んこたあないけんど、口で言う言うたちねえ。手代岡へ行きよるがかい?」女の人は、どうして説明すれば・・・と、迷っているようだ。 「あんた、よいよきれいな目をしちょるに、ひとっつも見えんがかい?」・「今は、もうひとっつも見えんがよ。 」女の人は、バーベリーをのぞき込むように して、「これが、盲導犬かい?よいよ賢い犬言うけんねえ。」・「盲動犬は賢い犬やけんど、田舎の道は真っ直ぐな道が少ないけん、難しいがよ。 」・「けん ど、あんたはえらいねえ。 ひとっつも見えんに、どこへでも歩いて行くけん。手代岡は何処ぜ? 」 "やっぱり、きたなあ "と思った。 田舎の人は、必 ず聞くものだ。 私は、以前から母たちに、留子さんのことは聞いて知っていた。一度も会ったことがなかったが、間違いないと確信した。「手代岡は、山戸品江んちよ。」女の 人は、どう思ったか解らないが、「品江さんにときどき話は聞くけんど、あんたがその人かい?まあ、えらいねえ。おばちゃんらあも、感心しよるぜ」と言っ た。私は、思い切って聞いてみた。「おばちゃん、ひょっとして留子さんかい?」・そうそう、留子よ。 品江さんが話しよっつろ? 」・ウン、ばあちゃんか ら、ときどき聞いたことがあるけん、そうじゃあないろうかと思うて・・・。 」  なかなか話が終わりそうにない。バーベリーは、ふせたまま"話はまだかなあ・早く帰りたいなあ。"と言うように、私のスニーカーを、二度三度鼻先で突っつ いた。「バーベリー、解った・解った。」私は、彼女を立たせて「手代岡の近道はここからやろうか? 」と、前の方を指で示した。留子さんは、腕をつかんで 「おばちゃんが、手代岡の住宅の入り口まで連れっちゃるけん。 」と言いながら早足で歩き出した。「だあいや、あんたが品江さんくの人じゃったがかえ?  お母さんも、なかなか偉い言うて感心しよったぜ。 」私達は、初めて会ったにも関わらず、いろいろな世間話をした。それにしても、世間は本当に狭いものだ なあ。留子さんは、人なつっこいのか?以前からの知り合いのように感じた。ここが、田舎の良いところかもしれないなあ。 手代岡までは、思っていたより遠かった。「ここが、下の住宅の入り口やけん。ここから真っ直ぐ行って左に曲がるがぜ、右に曲がったら横瀬になるけん気をつ けたよ。」と言った。「どうも・どうも、ここからは解るけん・ありがとう。 」と言って、私は頭を下げた。 「バーベリー、やれやれだな。」 私達は、我 が家めざして歩いた。「バーベリー、ここが横瀬との分かれ道だ。 左に曲がるからな。 」 ここまで帰ってくればおてのもの。我が家の庭のようなものだ" それにしても、道を聞いた人が留子さんだったとはなあ。"

 
これからが、本当の二人三脚のはじまり!
 

  バーベリーと暮らすようになり、4つの季節が流れた。子供達も、それぞれ大学生と高校生になった。本当の意味で、これからが彼女との二人三脚だ。我が家に は、私の他には女性はいなくなった。今まで、娘に頼んでいたこともすべて自分だけでしなければならない。女性としての買い物もあるし、それなりの仕事もあ る。4月のはじめには、娘も岡山に行った。
「バーベリー、お姉ちゃんも行ってしまったなあ。これから、ますますお前が頼りだ。よろしく頼むからな。」私は、彼女に向かい合って座り、頭をなでて頼ん だ。バーベリーも気持ちが解るのか? 、私の膝に前足をかけ、あまえるようにすり寄ってきた。 
この1年間は、本当にめまぐるしく過ぎた。私達は毎日出かけ、多くの人に会い・いろいろなことを知った。最近では、すっかり忘れていた季節の変わり目・人 々の出はいり・そして、新しく出来ていた店や家・・・など、地域の暮らしも変わっていた。「バーベリー、こんな所に家が建っているようだ。 以前は広場 だったけどなあ・・・・。」などと、独り言のように彼女に話かけた。"数年の間に、世の中がずいぶん変わったんだなあ。"バーベリーは、今日まで大きな病 気もせず、 毎日どこへでも私を誘導してくれた。 今では、彼女のいない生活など想像できない。犬との生活は良い時ばかりではないが、毎日ブラシをかけたり耳掃除をす ること・・・など、生活の一部になってきた。「犬がいると世話がたまらんろ?」と聞かれるが、彼女のしてくれることを思えば、世話などとるに足らないこと だ。最近では外出する事も増え、何事にも欲が出てしまい失敗することも多くなった。"まあ、今にはじまったことでもないか?" 思えば1年前の今頃は、丁度合宿訓練の真っ最中。 マスターしなければならないこと・全てがはじめての経験ばかり。 休むこともできず、ただ言われるがま まに時が過ぎた。田舎で生活している者にとって、都会での寄宿舎生活は、想像以上に神経を使う。その上、夜通し何かの音がし、周囲の雑音に慣れるまでにも 時間がかかった。遥かかなたのいぬの遠吠えだけが、静かな風に乗って聞こえるだけの田舎で暮らしている者にとって、あの騒々しさは本当に疲れたなあ。合宿 訓練は4週間だが、あまりの厳しさに途中でリタイアする者もあり、1日いちにちが真剣勝負。合宿訓練は、視覚障害者の歩行訓練だけでなく、食事のマナー・ 日常の挨拶・・・など、社会人として常識のある態度も要求される。訓練が終わり、我が家に帰るときには、誰もが「もう、二度と訓練なんてゴメンだ!」と思 うようだ。私も、例外ではなかった。それが、何年かたちアイメイトをリタイアさせると、また二廻目・三廻目・・・と、訓練を受けると言う。 それだけ、ア イメイトとの暮らしが、自分にとって必要で素晴らしいものになってくれるからだ。いつの間にか、自分その者になると聞く。卒業した次の朝には、穏やかに月 日が流れていた頃・失明してからの日々、そして、これからの彼女との暮らしが、青い空にまっすぐ引かれた飛行機雲の用に思えた。

 
穴があったら入りたい!
 

  私は、いろいろな基礎訓練を全く受けてなく、そのため、失敗も人一番多い。気をつけてさえいれば、まちがわなくてすむことも、ついついあわててしまい、失 敗のくり返し。今までに、とりかえしのつかないまちがいはないが、青あざ作りの名人だ。そのため、はずかしい思いも何度したことか?
私が、つくずく直そうと思うことに、相手が誰なのか解らない場合、「自分から声をかけること」がある。それは、今までに何度もはずかしい思いをしてきたか らだ。 昨年の暮れ、近くの家で大掃除をしており、その家の人が一生懸命何かを洗っていたので、「みがきよるかい?せいが出るねえ」と、大声で叫んで通っ たところ、「良いお天気でございます」と、聞いたことのない人の声が帰ってきた。"あれ、今の人は・・・・?" 親戚の人が来ているのも知らず、いつもの 調子で話しかけ大はじをかいた。こんなまちがいは日常茶飯事で、気がついた時の調子の悪いこと・悪いこと。その上、手をふりながらまちがえた時などには、 その手をかくしようがない。手をおろしながら、もぞもぞと背中の方に隠すのだが・・・。「気をつけなければ・・・・。」と思うが、なかなか直りそうにな い。このような失敗は、相手が離れているからまだましで、すれ違いざま息子に、「今日は、本当に暑かったですねえ。 こう、暑いとたまりませんねえ」と、 どこかのお客様かと思い、丁寧に頭を下げた。すると、「お母さんなに言いよるが、ボクぜぼく!」と、息子にまで笑われた。
また、ある時などは、お巡りさんのカンバンに向かい、「毎日ご苦労さまです」と、深ぶか頭を下げたり、「こんばんは」と、連れ合いに挨拶したこともある。 まあ、その時のはずかしいこと・はずかしいこと!!。それと、近所には、私と同じ名前の人がおり、その人を呼んでいるにも関わらず大声で返事をしたことも ある。 「みっちゃん、ええがじゃないけんど、ばあちゃんが漬けた大根の漬け物いらんかい? 」と聞かれ、「大根の漬け物は、家のものが好きやけんちょう だいや」と答えた。
ところが、外に出て見ると、隣の玄関口に、ヨシコばあちゃんは立っていた。 すぐに、家の人が出て来て受け取っていたが、その時、「隣のみっちゃんも欲し い言いよるけん、半分持っちいちゃるけん」と言っていた。 私ははずかしくて、家の中に飛び込んだ。その後すぐ、何も聞かなかったような顔をして、ヨシコ ばあちゃんが漬け物を持って来てくれた。私は調子が悪く、まともに顔を合わすことができなかった。"気をつけてさえいれば、こんなまちがいはしないですむ のになあ"と、反省の繰り返しだ。その上、最近では、バーベリーとの失敗も加わり、反省の日々に拍車がかかっている。彼女との失敗は、私の不注意ばかり だ。 ある時などは、いつもの散歩コースを歩いていたら、バーベリーが急に止まってしまい、"邪魔になるものは何もないはずだがなあ"と思ったが、ねんの ために足先で探ってみたが、やっぱり何もない。私は、「進め」の指示を出したが、彼女は動こうとしない。"どうしたのかなあ?" 何度も確かめてみたが結 果は同じこと。 私は、バーベリーのがんとした態度に、"何か、あるなあ?"と思い、できるだけ手を伸ばして確かめた。そこには、な・なんと、大きな 「蛇」が横たわっていた。私は、恐ろしさのあまり、大声をあげ、飛び上がるように立ち上がった。「バーベリー、蛇が恐かったのか?」 バーベリーは、大事 件を解決したかのように「フウー!」っと、長いためいきをついた。 久しぶりに、蛇の感触を味わったが、こんなことは二度とお断りだ。また、ある時など は、はじめてバスに乗り、宿毛から帰る途中、車内は結構すいていたが、後部座席の方を指示し空席をさがさせた。 するとバーベリーは、少しきょろきょろし ていたが、一番後ろの席を教えてくれた。私は、席に手を乗せ左右に動かし空席を確認し、「ちょこん!」と座ったとたん!! 「オオー」と言う、男の人の驚 きの声。そう、私が空席だと思ったところは、男性の膝の間だった。男の人は、足を大きく広げて座っており、バーベリーと私は、空席とまちがえてしまったの だ。男の人も驚いたろうが、こっちも・こっちで、そりゃもう驚いたこと・驚いたこと。
「穴があったら入りたい」と言うのは、まさにこの事だ。
それと、バスでは、まだ失敗がいっぱい!それは、バスの乗り降りを練習するため、山田から山田橋を経由して、有岡まで行くためバスに乗った時のこと。私 は、その日は、バスに乗る気はなく、お金を確かめていなかった。ところが、途中で気が変わった。バーベリーは、上手にバスの中へ誘導してくれ、気持ちよく 乗っていたところ、サイフを持っていないことに気がついた。"困ったなあ 小銭がないぞ" 私は、あせりながらリュックの中をさがしてみたが、どうしても 見つからない。鞄の中には一万円札はあるが、まさか、万冊で払うわけにもいかず・・・・。困りきって腰に手を当てたところ、何か?コインのようなものに 触った。"あれ、何だろう?"手にとって確かめて見ると、今朝洗濯したときに、ジーンズのポケットの中に入っていた50円だった。 "50円デハな あ・・・" もたもたしていたら、あっというまに有岡に着いた。私は、運転手に50円しか小銭がないことを話した。すると、運転手は、「身体障害者の人 は、手帳があれば半額ですから、50円では少し足りませんが、今回はそれでかまいません。次からは、小銭を用意して乗るようにしてくださいね。それにして も、盲導犬をはじめて乗せましたが静かですねえ。」 「本当にすみませんでした。」私達は、3区間を50円でバスに乗った。「バーベリー、また、失敗した なあ」今回は、男の人の膝の上に座った時ほどのことはなかったが・・・・。 まだ一度も、失敗せずにバスに乗ったことがない。
"いつになれば、スムーズに乗ることができるのか?"。

 
壊れない物って何だろう?
 

  アイメイトとの暮らしも1年あまりが過ぎ、バーベリーも三歳の誕生日を迎えた。彼女は結構喜怒哀楽がはっきりしていたが、どんな時でも危険から私を守って くれた。アイメイトは、視覚障害者の目の変わりだけでなく、見えないと言う「不安」の中から勇気を与えてくれる。日々の暮らしの中で、人には解らない「心 の動揺」までも敏感に受けとめ、そしてすなおに答えてくれる。一人暮らしをしている者にとって、「アイメイトの存在は本当に大きい!」と言う。それは、単 なるペットではなく、生活を共にするパートナー・そして自分そのものだ。悲しいとき・うれしいとき・・・など、全てのことを見ている。晴眼者にとって当た り前の暮らしが、失明してからの私にはできなかった。ふと、足を止めた店で暖かいパンを買い・友達とコーヒーを飲み、そして、子供の参観日に行き・郵便局 へ立ち寄る・・・ことなど、人として・親としての当たり前の風景だ。こんな当たり前の暮らしが、「見えない」と言う現実の中では無視されることも多かった が、彼女のおかげで、少しずつ私の中に帰ってきた。私は、バーベリーとの暮らしに大きな夢をかけているわけではない。日々の暮らしが少しでもユタカで、そ して自然でありたいと願い、彼女と共に自分自身に挑戦していきたいと思っている。 
盲導犬は生活していく上での素晴らしいパートナーだが、わが国では、まだまだ盲導犬が不足しているため、珍しく興味本位で見られることも多い。 全国では 数十万人の視覚障害者がいるが、それに対して盲導犬の実働数は、「八百頭にも満たない」のが現状だ。現に、我が宿毛市でもはじめての盲導犬のため、犬の種 類やしぐさなどに注目され、盲導犬の仕事そのものと視覚障害者との関わりが無視されることも多い。 1年あまりアイメイトと暮らして、何がどう変わったの か解らないが、不安感が少なくなり「やればできることが多い!!」と言う確信がもてるようになってきた。それは、今まで苦手 だった一人歩きのことだけでなく、人間関係・そして社会との関わり・・・などに自分の方から歩み寄ることができるようになってきた。 それら全てに、アイ メイトがいつもそばにいてくれ、私のために多くの仕事をしてくれるからだ。 30代半ばで失明し、当時は、盲導犬歩行をすることなど想像もできなかった。 視覚障害者の歩行手段として、主に、手引き歩行・白杖歩行、そして盲導犬歩行があるが、一言でどれが良いとは決めることはできない。人それぞれの考え方が あるように、一人歩きの手段もそれぞれの立場で違ってくる。手引き歩行は、安全ではあるが、自分が好きな時間に自由に行動する事は難しい。白杖歩行は、そ れなりの訓練を受けていなければ、安全で確実に目的地に着くことは大変だと聞く。そして、盲導犬歩行は、安全性は高いが、病気やけがなどの健康状態にも気 をつけなければならない上、毎日の手入れやコントロールがかかせない。
視覚障害者の歩行手段は、それぞれのライフスタイル・外出回数などにより、本人自身が選択する事が多い。今日までアイメイトと暮らして感じることは、自由 に外出ができるだけでなく、彼女を通していくつものつながりができるのも確かだ。アイメイトには、自分には見えない「不思議な力!」がある。
私は時々、「幸せとはどんなことだろう?」・「壊れない物って何だろう?」と考えることがある。健康な者全てが幸せではないだろうし、障害を持っている者 全てが不幸せでもない。大金をつぎ込んで作った物も、いつかは壊れて行くだろうし、深い愛をこめたお互いの絆も、やがては壊れてしまうのだろうか?最近、 傷害を持って生きることは、不便ではあっても決して不幸ではないと思えるようになってきた。失明した当時は、「世界中で一番不幸だ」と思っていた時期も あったり、「自分のことを可哀想にと思ってくれるだろうか」と考えたこともあった。それは、意志が弱いとか、努力が足りないと言うことではなく、どうして も現実を受け入れられない時期がある。人は、「どん底に落ちないと前向きな考え方ができない」と言うが、今になって「そのとおりだなあ」と思うようになっ てきた。 
視覚障害者の一人歩きは、危険と背中合わせだが、自分の持っている感覚全てを使う真剣勝負だ。
白杖を持っていたり・盲導犬を連れて困っていた時には、一言声をかけて欲しい。わが国で、最大の実績をもつアイメイト協会も、1996年10月10日、新 施設「アイメイト協会・視覚障害者歩行訓練センター」として、視覚障害者の自立のための歩行訓練がくり返されている。
「バーベリー、明日は講演会だ。よろしく頼むからな。」

 
あと書きに変えて!
 

 つたな い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。私にとって、連載を書くことなどははじめての経験で、とまどうことばかりでしたが、こうして無事 に完結できましたことをうれしく思います。
また、連載を書くに当たり「福祉センターのみなさん」・「音訳サークルほほえみ」そして、インストラクターの「黒いわさん(藤本電器)」・「手代岡のみな さん」・「隣保館のみなさん」・・・・には、何かとご協力いただき、この場を借りて感謝申しあげます。「ありがとうございました」 その上、「マイセルフ ネットワークのみなさん」には、インターネットを返して応援していただき、かさねてお礼申し上げます。
私が、「バーベリーとの出会い」を書くようになったきっかけは、福祉ネット「マイセルフネットワーク」のホームページの話があり、軽い気持ちで「盲導犬と の出会いを書いているんだけど・・・・。」などと言ってしまい、「それにしよう!」と言うことになり、話の方が先走りし、内容が後からついていったしだい です。この連載を書くことにより、私自身もいろいろなことを思い出し、反省することができました。文章の書き方は、ごらんのとうり全くのしろうとで、恥ず かしさは隠しきれませんが、それなりの流れはつかんでいただけたと思います。 私が、この文章を発表しようと思った理由の一つには、「視覚障害者の現状」 を少しでも知って欲しいと言うことがありました。盲導犬との暮らしをとおして、見えない者と社会との関わりを考えていただければと思います。私は、今まで に、見えないことで口では言えない惨めさ・つらさを何度も経験してきました。傷害を持って生きることは、そう簡単なことではないと感じています。
世間で語られているような「きれいごと(理想的な考え)」だけでは生きてはいけないし、自分自信も、現実から目をそらせてはいけないと思っています。私 は、常日頃、「お世話になっても、それに依存しない」と言うことを心がけています。周りの人にお世話になることばかりですが、その中で、自分なりに努力や 工夫をしてきました。まだまだ、できないことばかりですが、私なりに考え、少しでも「豊かな心」で暮らしていきたいと思っています。 
盲導犬を使用したいと思った理由は、「自分の判断で行動したい」と言うことのほかに、「社会の中に、自分なりに参加したい」と言うことがありました。今ま では、わずか数百メートルの所へ行くにしても人の手を借りたり、その人の都合ばかりが気になり、積極的な考え方ができませんでした。
人は、誰でもそうですが、気元の良い時ばかりではありません。途中で気が変わられたことも少なくありませんし、荷物のように、すみの方に追いやられたこと もありました。そのようなことが続き、「近くだけでも自分で行動したい」と強く思うようになり、盲動犬の申し込みをしました。
合宿訓練も終わり、田舎での暮らしの中で、いろいろな人と出会い、世の中の変化に驚いています。
盲導犬歩行は、想像以上に難しいものですが、バーベリーとの暮らしが、私にとって大きな一歩です。
最近では、学校や職場で「障害者問題」の勉強会がありますが、きれいな言葉で上手に語られるのではなく、一つでも現実に触れて欲しいと思います。頭の中だ けで理解するのではなく、体で感じて欲しいと願っています。 障害者問題は、まだまだこれからだと感じていますが、もう一度回りを見つめなおし、社会の中 に自然に受け入れられることを心より願っています。
「陽は落ちて 我が瞳(目)のハーネス 急ぎ足 (ひはおちて わがめのハーネス いそぎあし)」 **  <完>  山戸 光子