一般社団法人

  iyoまつり協会

まつりについて



最近、まつりの目的が時代の変化によって参加者達の利害とは離れてしまったものも多く、行事の内容も社会環境の変化等により変更を余儀なくされた祭もあります。それらの結果、祭を行うことそのものが目的に成り代わっているような、目的から考えると形骸化した状況の祭も多い。このため、全くの部外者や、見物する者や参加する者という当事者にとっても「祭=楽しいイベント(お祭り騒ぎ)」という程度の認識しか持たれないことが多いのが現状です。

地域とともに文化の活性化を目指し、これから10年、50年と続いていく郷土芸能の将来を考えて、市民と観光が一体になる祭りを作り、継続する大切な基盤を作らなければなりません。様々な音楽や踊りが集う場所。なによりもそれらの音が融合し人々の心に響く空間を創り出せることを目標に私達の生まれ育った地で開催される舞台です。人々が集まって自分たちが参加する場所で様々な郷土芸能を身体に浴び新たなる創造へのエネルギーを蓄える場所。生きるためのエネルギーが響きあう、ひとつの音が生まれ、その響きは人から人へ伝播していきます。小さな一点から広がる波紋は、人々を時に激しく時にやさしく揺さぶります。
ここで生まれる波は小さくても観光の美しい波紋のひとつになれるよう。

郷土文化を次世代へ継承し、社会の活性化に寄与することや次世代により郷土芸能保存し、町内外で演奏を披露することで、町の活性化、更には県外へ郷土PRすることを目的にします。観客へのまつりグッズの無料配布や、観客による飛び入りなど、踊る人、見る人、が楽しく一体感あるまつり。
どこにもない、新しいまつりを目指して1年がかりで改革に取り組む。郷土らしい伝統を残しながらオリジナルのまつりの形態づくり。

祭りの頃ともなると四国各地の農村では、あちこちから賑やかな鉦や太鼓のリズムが聞こえてくる。郷土に息づいている伝統芸能。
伝統芸能は庶民の生活の中から芽生え、長い歴史の風雪に耐えて円熟しながら成長した貴重な祖先の文化遺産である。我々は伝統的芸能を通して昔の生活文化に触れることができるが、それぞれの地域の特性に根ざした数多くの伝統芸能が、明治以降、とりわけ大戦後の急激な生活構造の変化や意識の変遷によって、次第に風化しつつあるのは惜しまれてなりません。
そのため現代の若者のフィリングにも合うようにアレンジして、全盛を維持しているものもあるし、また一方現代的な感覚で全く新しく創作されたものもある。現在残っている伝統芸能は、何れも時代の変遷に耐え得た価値の高いものばかりであるが、風化〜滅亡を防ぐための保存会等の献身的努力が裏打ちされていることを忘れてはならないと思います。

これらは専門の役者さんや脚本・舞台を作る人、お囃子(はやし)という楽器を演奏する人たちが一つの舞台芸術として長い年月をかけて作り上げてきました。

一般的にはこれを「伝統芸能」や「古典芸能」という。これに対して、農家など普通の人たちが長い習慣として続けてきた芸能を「郷土芸能」や「民俗芸能」という。伝統芸能の元は郷土芸能から始まっていて、この二つはとても深い関係があります。何もかも忘れて熱中する。その姿が神様を喜ばせると昔の人は考えたし、自分たちも楽しんで、気分をリフレッシュして、また普段の厳しい生活に帰っていった。郷土芸能は昔の人にとっていい気分転換にもなったようです。

このような特別な日を「ハレ」という。ハレの日は特別な食事を食べ、特別な衣装を着て、特別な行事がおこなわれ、非日常の世界に入る。そして終われば、また日常の「ケ」の世界へもどっていく。その「ハレ」の日の行事が、郷土芸能として残っています。このハレとケの繰り返しが、私たち日本人の生活のリズムを作っていました。都会に住んでいると、なかなかこうしたリズムを感じることはできないけれど、日本人の血の中にはちゃんと残っていて、祭りとなると仕事も放り出して、熱中する人もいるわけです。日頃のつらい作業もハレの日があるから、がんばる。昔の人にとっては、大切な気晴らしの日だったのかもしれない。

愛媛県にも多くの素晴らしい郷土芸能があります。その伝統芸能を広くたくさんの皆さんに見ていただき、多くの感動を感じて欲しい、そしてその伝統を永く伝えていきたい・・・。そういった想いの有志が集め設立されたら素晴らしい事です。
演技者、演奏者は、長く厳しい修行を積み重ね素晴らしい技を身につけております。心に響く歌、太鼓、三味線、踊りも、心を動かすものをお見せできると思っております。